靖國神社に正式参拝する機会がありました。 今回、久しぶりに靖国神社に行って分かったのは戦争で亡くなったのは人間ばかりではなく、100万頭に近い軍馬、数万頭の軍犬と誠実な伝令として戦場で活躍した伝書鳩の霊も慰めているということを知りました・・・。 建物は参集殿・・・個人や団体で昇殿参拝(正式参拝)する方々のための受付、控え室があります。 戦没馬慰霊像(せんぼつばいれいぞう) 戦歿馬慰霊像に思う・・・説明板より 馬ほど心の美しい動物はない。 明治初期から昭和20年8月15日の終戦に至るまで、幾多の戦役にかり出され百万頭近い馬が戦陣に斃(たお)れた。軍馬補充部で育成された軍馬や農家からの購買または徴発馬が、斥候(せっこう)、行軍(こうぐん)、戦闘のため戦場を駆巡る乗馬として、あるいはいかなる難路にも屈せず重い火砲を引く輓馬(ばんば)、軍需品を背負い搬送する駄馬(だば)として戦地に赴いた。 御国のために戦場を駆巡り、屍(しかばね)を野辺に晒(さら)したもの数知れず、終戦まで生き長らえても、再び懐かしい故国に還ったのは僅か1、2頭である。山紫水明の生まれ故郷を思い起こしたことであろう。それでも黙々として生を終えた・・・・・。 軍犬慰霊像・・・・兵士にとって最愛の仲間であったジャーマン・シェパード。 昭和6年(1931年)9月満州事変勅発以降、同20年8月大東亜戦争終結までの間、シェパード犬を主とする軍犬は我が将兵の忠実な戦友として第一線で活躍し、その大半はあるいは敵弾に斃れ、あるいは傷病に死し、終戦時生存していたものも遂に一頭すら故国に帰ることがなかった。 この軍犬の偉勲を永久に伝え、その忠魂を慰めるため有志相はかり広く浄財を募りこの像を建立した。平成4年3月20日 軍用犬は地雷原と思われる場所に行くと解き放たれ走り回るということもしていたそうです・・・。 あるHPによると民間で飼育されていた犬も徴兵され、数万頭が投入されたそうです。 遊就館:靖國神社の鎮まります英霊のご遺書うあご遺品をはじめ、英霊のまごころやご事績を今に伝える貴重な史・資料を展示しています。 遊就は高潔な人物に交わり学ぶという意味で収蔵品は10万点に及ぶ・・・・・遊就館パンフレットより 零式艦上戦闘機・・・・・ご存知、皇紀2600年・昭和15年に採用されたので零式と名付けられる。 この遊就館は残念ながら時間が無くて見学することが出来ませんでした。 何年か前に入場したことがありますが戦争の悲惨さを今に教えてくれるので靖國神社に行く機会があれば立ち寄ってみてください。
靖國神社に正式参拝(本殿内・昇殿参拝)に行って来ました。 今回は団体での参拝だったですが個人での受け付けもしてくれているようです。 参拝方法は皆様の所にある神社の本殿内での参拝と同じだと思います。 「本殿に行くと魂が揺さぶられます」・・・・神主さんからそう説明がありました。 参拝中に嗚咽している方がいたので心から魂が揺さぶられたのだと思います。 246.6千万余柱が御祭神と聞いて今の平和の日本があるのもこれらの人たちの命がけの元にあるのだと思うと身が引きしまる思いでした。 靖國神社の前身である東京招魂社は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、戊辰戦争の戦死者を祀るために1869年(明治2年)に創建された。後に、1853年(嘉永6年)のアメリカ東インド艦隊の司令官、ペリーの浦賀来航以降の、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀るようになる・・・・・WikiPrdiaより 靖國神社の御祭神は幕末の嘉永6年(1853年)以降の明治維新、戊申の没、西南の没、日清戦争、日露戦争、満州事変、第二次世界大戦などの大概事変や戦争に際してひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の心霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に準じられた尊い心霊(靖国の大神)としてお祀りされています。 ここには明治維新のさきがけとなった坂本竜馬、吉田松陰、高杉晋作、橋本佐内といった歴史的に著名な幕末の志士達をはじめ、戦場で救護の為に活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工業で亡くなった学徒などの軍属、文官、民間の人たちも数多く含まれているそうです。 このように多種多様な方々の尊い神霊として一律平等に祀られているのは、靖国神社創建の目的が「国家のために一命を捧げられたこれらの人々の零を慰め、その事績を後世に伝える」ことにあるからです。 明治天皇が命名された「靖国」という社号は、「国を靖(安)んずる」と言う意味で、靖國神社には「祖国を平和にする」「祖国を平安にする」「平和は国家を建設する」という願いが込められています。 ・・・・・・靖國神社パンフレットより 今回、本殿にて参拝してみて・・・・・・・、 「色んな諸事情があるにせよ、日本国の為に命を捧げた人たちに正式に感謝の意を表することが出来ないなんて、なんかおかしくない?・・・」と言う気持ちを強烈に感じました。 靖國神社境内案内図 社号票(しゃごうびょう) 第一鳥居(大鳥居)・高さ25m・・・そびえ立つ鳥居で見る価値十分 大村益次郎像・・近代日本陸軍の創設者で靖國神社の創建尽くした。 神門:中央の扉には直径1.5mの菊花の紋章が取り付けられている 直径1.5mの菊花の紋章
・・・・・「お伊勢参りは、今日アップする予定にしていたのですが、間違えて昨日の午後4時から7時半頃まで公開状態になっていました・・・・(ー_ー)!!・・・ 14日(土)にお伊勢まいりに行って来ました。 ちなみに伊勢神宮には、外宮(げぐう)と内宮(ないぐう)があります。 外宮(豊受大神宮・とようけのおおみかみ) 天照大大神のお食事を司る神の豊受大神をおまつりしている。 内宮創建から500年後に建てられ衣食住をはじめ、あらゆつ産業の守り神 内宮(皇大神宮・こうたいじんぐう) 皇室のご祖先の天照大神をおまつりする。 五十鈴川川上に千古の森に囲まれ、2000年の歴史。 伊勢神宮は内宮、外宮を中心として125の宮社の総称で正式名称は「神宮」 今回は弊社(村田ボーリング技研株式会社)創業60周年を迎えて内宮・外宮に正式参拝でした。 理由は分かりませんが、お伊勢まいりは「外宮→内宮」の順番だと言われています。 外宮・手水舎:参拝前に心身を清めます 境内には苔のはえた木々が沢山あって幻想的な雰囲気です 御厩(みうまや):神様の乗り物として馬を神社に奉納する習慣が古来からあるそうです。神宮の神馬(しんめ)は皇室から奉納されたもの。 撮影できるギリギリの場所から撮影・・・この奥が御正殿。 ここが一般参拝場所で正式参拝はその奥まで入ります。 外宮・正式参拝後の記念写真、 ・・・・と思ってアップしていましたが、実はこれは内宮での集合写真だったです(ー_ー)!!。 コメント頂いたマッドだいまるさんのご指摘で間違いに気が付きました。 外宮さんの次は内宮さん・・・・宇治橋鳥居(左)と宇治橋(右) 内宮は外宮に比べて参拝者が多いせいか、参宮案内所で車いすを借りることができるのが嬉しい。 宇治橋鳥居から御正宮まで1kmあるので「電動車椅子がいいですよ!」と言われてたのでそちらを選択! レバー1本で操作ができます(^^) 古札納所 社務所 社務所:こちら側ではお札・お守りなど販売しています 11月に完成する新居に置く神棚を購入・・右端の一番小さいのを購入!・・・・でも○万円です(^^ゞ 神楽殿・中大々神楽を上げて頂きましたヽ(^。^)ノ 社務所・神楽殿・五状殿・・・・なにやら白い玉が・・・(^^ゞ 内宮・正式参拝して記念撮影・・・上の集合写真と比べて右端の人間だけが違います(^^ゞ 参拝後に境内を楽しみながらゆっくりと歩いて帰ります 境内に鹿がいました・・・・・あと、鶏もいましたよ(^^) 追伸・・・外宮参拝後にバケツをひっくり返したような土砂降りに! 近くの大型スーパーマーケットで1時間ほど買い物をしていたら雨が上がってくれたので無事に内宮参拝することができました(^^) ツイてますねヽ(^。^)ノ 溶射屋のブログ師匠の伯爵様も前日の13日(金)に参拝しにきたそうです・・・・ニアミスでした(^^ゞ
静岡市内にある、臨済寺は駿河の戦国大名・今川氏の菩提寺でもあり、徳川家康がまだ松平竹千代時代に今川氏の人質として数年間教育を受けたところとしても知られている神社です。 24日(土)に三重県鈴鹿市に住んでいる妻の実家の両親が安倍川花火大会に来てくれた翌日に一緒に見学に行きました。 家康は数年間過ごしたこの静岡市が住みやすかったので、隠居の土地に選択したんだろうなぁと思います♪ 徳川の最後の将軍である徳川慶喜も江戸無血開城後は静岡市内に住んでいたんです。 静岡市は富士山も見えて山も、川も、海もあり、夏は涼しく、冬は暖かいと言われている土地・・・・・ちなみに冬は雪が降らないんですよ(*^_^*) 臨済寺 仁王門・・・徳川慶喜が書いた「大龍山」の額がかかっている 2体の仁王像 境内に蓮の花のつぼみがありました 蓮 鬼階段 本堂 本堂・・重要文化財 座禅堂 新仏殿 大きな地図で見る 臨済寺