先日、父の時代からお世話になっている会社役員のTさんが突然お亡くなりになり、お通夜に参列しました。
参拝者が葬儀会館の100席はある会場内に入りきらず、別室にも数多くの参列者がいてTさんの生前の交友の広さを感じました。
以前、社葬にも関わらず50人程度しか参列していない葬儀に参列したことがあります。
生前に、どう生きてきたか。
生ある者としては、これからをどう生きていくか・・・・。
Tさん安らかにお眠りください。
2024_06/05
生前どう生きてきたか!
2024_05/28
「大阪市内にあった、あの横断歩道はどうなったのかな?」
2010年ごろ、大阪市内に出張の際に面白い横断歩道を発見?(写真上)
東淀川駅西口を降りた先にある商店街を出た交差点に、道の真ん中に横断歩道があるんです。
このような横断歩道をみたことがありません。
あらためてGoogleマップで調べたら未だに同じでした(写真下)
「さすが大阪!!」(笑)
きっとこの道路は歩行者専用道路になっているのでしょう。
2010年ごろに撮影
2024_05/22
静岡県知事選挙 「大村しんいち」候補を応援しています!
前知事時代に評判が悪くなってしまった静岡県。
無名の大村さん、劣勢らしいのでぜひとも応援のほうをよろしくお願いします。
下記は浜松市の元市長である北脇保之さんの出陣式の応援演説(5分程度)の要約です。
お時間がある方はお読みください。
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大村しんいち候補出陣式 (5月9日 浜松市中区鍛治町)
「元浜松市長の北脇保之さんの応援演説」
17年ぶりにマイクを握っております。私が言いたいことは三つあります。
一つ目は17年前の私の最後の選挙に市民に訴えたことと同じです。その時の対立候補は今の大村さんの対立候補と同じ鈴木康友さんです。私が言ったことは、ここで相手が勝ってしまうと浜松市民は市民のものでなくなってしまうと訴えました。
なぜならば、市政というのは選挙で選ばれた市長、そして選挙で選ばれた議員、これによって市民に責任を持って物事を決めていくことが民主政治です。それに対して対立候が勝つと、その選挙で選ばれたのではない人が、市長の上に立って物事を決めてしまう。そこには市民の手は届かない。それは市民のみんなの市政ではなくなってしまうという危機を訴えましたが、残念ながらそれが現実になってしまいました。
しかし、今、この心ある浜松市民が長年抱えてきた鬱屈した想いこれを静岡県民全員のものにしてはいけません。それを防ぐためには、ためにもこの大村さんをなんとしても勝たせなければいけません。どうかよろしくお願いします。
二つ目は、駒澤大学公式野球部就寝名誉監督の太田さんがおっしゃった県営球場のことですが、これは誰が考えても採算が合いません。プロ野球のフランチャイズも無い、そして大規模ロックコンサートを聞くにも大都市圏のような若者層も無いし、そのような場所で大規模集客イベントが頻繁にできるわけがありません。
これが、もし本当に完成してしまったらその時から県民も、そして浜松市民も、大きな重荷になります。私が疑問に思うのは、対立候補の主張を支えている人たちの中に浜松経済界の一部がおります。経営者です。その方たちは経営に鋭い感覚をもっているはずなのに、なぜこんな採算が合わないということがわからないのか。なぜこれを推進しようとするのか。もし本堂に採算が合うと言うんだったら、これはもう民間の企業、仕事として民間の事業としてやったらどうなのか。それでも採算が合うというつもりなのかと聞きたいです。
三つ目は、マスコミが、この選挙を与野党対立だと報道していますが、これは間違っています。というのは大村さんだって自民党の政策を掲げているわけではないし、対立候補も野党の政策を掲げて立っている訳ではありません。
大事なことは人物の選択で、静岡県政に必要な人はどの候補なのかの点で考えたときに、大村さんほど打ってつけの人はいません。今まで一生の仕事として、国やいろんな自治体や地方自治、地方行政を経験し、見識は誰にも劣らない素晴らしいものを持っております。それに加えて副知事も経験し静岡県全域を知っています。
そして、この人柄。よく官僚出身というと冷たいとか、エリート意識が鼻につくとか、よくありますが、大村さんはそんな人ではありません。非常に誠実だし、謙虚で、人の声を聴く人です。
今求められている知事の像というのは決して受け身を狙ったような鞭撻の人ではありません。本当にきめ細かく、社会のいろんな所にいる人に目を届け、そしてこの静岡県の各地域にも目配りをし、本当に困っているところはどこにあるのか、本当に必要なことはなんなのかをよく分かった上で、着実に実行していく人です。それはまさに大村さんを置いて他にはありません。
この選挙は、与野党対立ではなく、人物の選択だということをここにいる皆さんが周りに広めてください。大村さんに、実力を発揮していただきたいです。皆さん、静岡県民の力で、本当の、まともな真っ当な静岡県政を作り直しましょう。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
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大村しんいち候補
2024_05/20
「えっ、そうなんだぁ!」水の消費期限!
先日、娘むこ(島直也)から「えっ、そうなの!」という話しを聞きました。
「ペットボトルに入っているミネラルウォーターの賞味期限は、水をおいしく安全に飲める賞味期限ではなく、表示されている容量が確保できる期限。未開封の状態であれば半永久的に腐ることがなく、たとえ賞味期限が切れてしまっても問題ない」と。
「へ~そうなんだぁ!!」
今まで賞味期限が切れた水は、震災時に何かの役に立つと思いそのまま保存してありましたが、飲み水として保存しておくことにします。
保存水
2024_05/16
「18番」「おはこ」の語源
得意とすることを「18番」とか「おはこ」といいますが、なぜそのように言われているのか語源を調べてみました。
歌舞伎で、初代市川團十郎(1675年襲名)・二代目團十郎・四代目團十郎がそれぞれ得意としていた荒事の演目18種を七代目市川團十郎が1832年に定められ「歌舞伎十八番」と呼んだ。ここから、得意とする芸という意味で広く用いられるようになった。
なぜ18という数になったのかについては、歌舞伎界では特別の演目を十八番とよんでいた説、「十八界」「十八般」のごとき総称・代表の意による説、荒事の主人公の年齢との関係の説など、複数の説があるが、どの説が正しいのかは明らかではない。
選ばれた18種は、『勧進帳』、『不破』、『鳴神』、『暫』、『不動』、『嫐』、『象引』、『助六』、『押戻』、『外郎売』、『矢の根』、『関羽』、『景清』、『七つ面』、『毛抜』、『解脱』、『蛇柳』、『鎌髭』である
江戸時代では、高価な書画や茶器などを丁重に箱に入れて、「真作である」ことを示す鑑定者の署名である「箱書き」を添えたことから「本物の芸であると認定された」という意味で、「おはこ」と言うようになった。
野球のエース背番号が「18」というのも歌舞伎から取り入れられたのでしょうね。
左:初代「市川団十郎」、右、市川家家紋
2024_05/15
歴史ある硬貨、親しみを感じます!
財布の中に古そうな10円玉の製造年を確認したら昭和36年でした。
他にもあるのかな?と手元に保管してある硬貨を確認したところ昭和29年と35年もありました。
昭和29年(1954年)70年前
昭和35年(1960年)64年前
昭和36年(1961年)63年前
60年以上もの間、使われてきたことにより表面や角が摩耗している状態になってる。
私は昭和32年生まれの66歳なので、一緒に歴史を刻んだきたんだなぁと親しみを感じました。
ネットで調べたら現行の10円玉は昭和26年(1951年)から製造されています。
歴史のある10円玉
2024_05/14
こんな大きな図面はみたことがないです!
昨日、管理職のIさんが大きな図面を見ていました。
広げてみてその大きさにビックリ。
計ってみたら2m38cm×84cm
1枚ものでこんなに長い紙をみたことがありません。
ネットで調べたところ「ロール紙」というものがあるそうです。
(紙幅×長さ)45cm×45m~114cm×42m
写真:図面を裏返して吹き抜けの2階から撮影