北東のあたる方角をいう。
中国古来の考えに基づき、この方角は鬼(邪気)が出入りし集まる所といい、これをこれを避けた。
裏鬼門は反対側の南西の方角で鬼門と裏鬼門は陰陽のはざまになるため不吉な方角と言われている。
江戸城は鬼門と裏鬼門と呼ばれる方角に聖地を置き、魔の新入を防ごうとした。
鬼門に建てられたのが寛永寺(上野)と上野東照宮、裏鬼門には増上寺と神田明神と日枝神社を置いた。
下図は、赤線で上野寛永寺と日枝神社を結び、青線は神田明神と増上寺を結んだところ、両方の線の中に守らたように江戸城が入っています。
上野寛永寺・ 徳川家の菩提寺(徳川家光が建立)
日枝神社・・徳川家守り神
神田明神・・江戸総鎮守(江戸幕府の尊崇する神社)
増上寺・・・徳川家菩提樹
なるほどねぇ!!
調べれば調べるほどおもしろくなってくるじゃぁないですか!(笑)
江戸城の鬼門と裏鬼門
2023_01/21
江戸城の鬼門、裏鬼門!!
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コメント(8)
おはようございます。
二つの線の端で三角形を作るとその中に入りますね。
結界が張られていますね。
おはようございます。
住宅を建てる時に矢張り鬼門の方角に気を使いますね。
ぽちっ!
溶射屋さん、こんにちは。
こういうお話大好きです!
風水や陰陽道も興味深いですね!
大阪城は地盤や治水の優れた上町台地に建てられていますね
昔人は方位、地形など熟慮して町を築いたのですね
鬼門は気にされ対策をされる方が多いですよね。
江戸城もそんな風になっていたのですね。
応援ぽち。
おはようございます。
「鬼門」の起源は古代中国。
表鬼門の東北と裏鬼門の南西。
・当時の都の北東と南西には強大な敵がいた。
・南西からは強風が吹いてくる。
つまり鬼門とは 「外敵」 と 「強風」 を意味し、北東と南西に開口部と水まわりを作らないというのは、住む人の安全と健康を考えた、古代中国の生活の知恵と言う事です。
そして、日本に伝わり変化しながら今に伝えられているようです。
おはようございます
いつもありがとうございます♪
ぽち
今日は中学校時代の旧友と大分県の温泉で一泊でした。
寒波がくる前で良かった。