会話をしていると、「えっ?、そんなことも知らないの?」と上から目線で言われると言われた方はいい気持ちはしません。
相手が年下や部下の場合につい使ってしまう言葉かもしれません。
私も、思わず口から出そうになる時はぐっと飲み込むようにしています。
静岡市内
2021_01/31
つい、言っていませんか?
2021_01/30
「心が変われば、運命が変わる」!
「心が変われば行動が変わる」
「行動が変われば習慣が変わる」
「習慣が変われば人格が変わる」
「人格が変われば運命が変わる」
「運命」を変えるのは、神さまやパワースポットに頼るのではなく、自分だということを自覚しない限りはいつまでたっても変わることはありません。
ネットには「出典が分からない」とされていましたが、この名言はいつの時代でも誰もが納得する言葉ではないでしょうか?
松井秀樹さんを育てたな星稜高校野球部前監督だった山下智茂さんや、野村克也さんも使っている言葉ですが、きっと色んな所でも使われているのだと思います。
「まずは自分の心を変えていくところからスタートですね!!」
2021_01/29
人は小さい失敗の繰り返しで成長する!
失敗した際に、直ぐに立ち直れる場合もあるし、なかなか立ち直れない場合もある。
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の五日市剛さんは、サラリーマン時代に失敗をして落ち込んでいる部下に対して、「失敗と書いて、経験と言うんだよ!!」といって励ましたそうです。
人間は失敗を繰り返すことで人間の幅が広がっていくもの。
わざと小さい失敗をさせてもよいと思っている上司と、失敗をさせようとしない上司では前者の部下は伸び伸びと成長するけど、後者の場合は成長のスピードは遅くなる。
部下の意見を「いい意見だ」と、取り入れようとする上司と、「何言ってんだ、俺の言う通りにやれ!」と上から目線の上司では、前者の場合は自ら考えるように育つけど、後者の場合は命令待ちの人間になってしまうものです。
2021_01/28
達磨寺の主祭神は北斗七星でした!
祀られているのは北斗七星を神格化した北辰鎮宅霊符尊(ほくしんちんたくれいふそん)。
達磨寺は前橋城(現在は群馬県庁)の裏鬼門(南西)を護る寺として1697年開創。
通常お堂は南向きや東向きが多いが、達磨寺の正面は北だそうです。
なるほど・・・。
以下達磨寺HPより・・・・・・・
達磨寺の霊符(本堂)には北斗星を神格化した、北辰鎮宅霊符尊(ほくしんちんたくれいふそん)霊符尊をお祀りします。
北辰鎮宅霊符は天神地神、日月じつげつ星辰せいしんの総帥として過去・現在・未来三世の運勢を支配し、吉凶禍福・家相方位を司る霊神で、善星(よいこと)を招来して幸福を守護し、悪星(悪いこと)を除いて悪事災難を消滅する大威徳を具えています。
達磨寺は前橋城(現在の群馬県庁)から見て南西に鎮座しており、前橋城の裏鬼門を守護する寺として創建されました。通常お堂は南向きや東向きに建てられることが多いですが、達磨寺は北極星(北)を向いています。
関東隋一の方位除・八方除の祈願所として信仰されています。
群馬県庁と達磨寺
2021_01/27
つい顔を見ずに言ってしまいます!
「その人の方を見て挨拶する!」
これが中々できない・・・。
出勤時、席に座ってパソコン画面をみていると、
「おはようございます」と部屋に入ってきた人に対して、
つい下を向きながら返事をすることになる。
誰に言っているか分からない挨拶でも、相手の方をみて返事をすること、とても大事なこと。
逆の立場になると良く分かる話しです・・・・。
新事務所内
2021_01/26
雑用という仕事はない!
どんな仕事にも意味はあるので、雑用という用事はありません。
事に取り組む際に、雑に取り組んだ時にこそ雑用となる。
「こんな雑用ばかり・・・・と思いながら、適当に取り組んだ時こそ、その仕事は本当の雑用になるんでしょうね」
どんな小さい仕事でも、感動を伝えようと取り組むことが大事ですね・・・。
2021_01/25
縁起達磨から分かったこと!
縁起だるまのことをネット検索していたら下記のことが分かりました。
なるほどねぇ!!
調べれば調べるほど、興味が沸いてきます!
室町時代末期より、碓氷川(群馬県高崎市)のほとりに厄除・子授け・縁結びにご利益のある観音様を祀るお堂があった。
延宝八年(1680)一了居士行者が霊夢によって訪れ、信心を凝らして一刀三礼、達磨大師の座像を彫り上げ観音堂にお祀りした。この噂は「達磨出現の霊地・少林山」として近隣に広まった。
当時、前橋藩第4代藩主酒井忠清(4代将軍・徳川家綱時に大老)は前橋城の裏鬼門を護る寺として、元禄十年(1697)少林山達磨寺(曹洞宗寿昌派)を開創。享保十一年(1726)水戸徳川家から永世の祈願所とされる。
縁起だるまの始まり
今から200年ほど前、天明3年に浅間山の大噴火があったり天変地異が多く起こり、大飢饉となる。
この惨状を見かね、生活の苦しかった付近の農民救済のため9代目の住職東嶽(とうがく)和尚は、開山心越(しんえつ)禅師の画かれた「一筆達磨坐禅像」をもとに木型を彫り、張り子のだるまの作り方を伝授した。
そして正月七草大祭の縁日に掛け声勇ましく売られるようになったのが縁起だるまの始まり。
達磨寺HPより