社長ブログ
溶射屋
日々の気づきを投稿中

社長ブログ
溶射屋
日々の気づきを投稿中

2019年12月30日

2019_12/30

神風特攻後続隊!

2012年3月21日と4月4日に、父が志願した「神風特攻後続隊」の記事をブログに投稿しました。

神風特攻後続隊・入隊許可証
https://www.murata-brg.co.jp/weblog/2012/03/21
神風特攻後続隊
https://www.murata-brg.co.jp/weblog/2012/04/04

今年12月に「神風特攻後続隊のことでお聞きしたい」と中日新聞記者から電話があったたので、父から聞いていたことを伝えました。

今日たまたま「神風特攻後続隊」をネット検索したら中日新聞HP12月30日朝刊号でその記事がアップされていました。

・・・・・・・・・・
要約すると、

太平洋戦争で、多くの若者が命を落とした神風特別攻撃隊。終戦間際、その名前を冠す私設部隊「神風特攻後続隊」が組織され、女性も入隊していた。

戦争と平和の資料館ピースあいち(名古屋市名東区)で開催中の企画展「寄贈品展」で、その存在を示す資料が展示されている。

1945年(昭和20年)1月31日付けの中部日本新聞(現中日新聞)の入隊を募る記事では同年2月11日に結成するとされており、本土決戦に備えた私設部隊だった。

8月12日付けの記事では東海本部を名古屋市に置き、東海4県で約2,000人でそのうち3割が女子隊員だったと。

元神風特攻後続隊総司令だった常岡瀧雄氏が1969年に出した著書「大東亜戦争の敗因と日本の将来」によると全国で4万人の入隊者がいたとされている。

本土決戦で一億総玉砕を言われていた時代で、女性も戦力とされていた。国のために命を懸けると誰もが思っていた。

・・・・・・・・・・

父の入隊許可証の日付けは終戦10日前の、1945年(昭和20年)8月5日。

靜岡工業高校卒の父は、友人と一緒に申し込み、その血判状を祖父に見せた所、黙って受け取り後日、日本刀を渡してくれたと!


日本刀を渡すことで自分の思いを息子に伝えたかったのでしょう。

ちなみに徴兵は20歳、工業高校卒業の場合は1年遅れだったのですが、父が申し込んだのは高校卒業後の夏でした・・・。

若い頃は耳にタコができてしまう位に何回も聞かされた話しですが、今となってはその話しを録音しておけばよかったと思うばかり。

そんな父ですが92歳となった今でも健康でいてくれています。

今日発売の新聞で記事が紹介されるということは聞いてはいませんでしたが、虫の知らせがあったのでしょう、自分でも驚くばかりです。

中日新聞記事(会員登録しないと全文読めません)
https://v.gd/EokpUb

神風特攻後続隊入隊許可証

ウェブ商談
申し込み
ウェブ商談申し込み