水戸黄門が大好きでテレビの再放送を楽しみにしています。
黄門のことをネットで調べていたら、駿河徳川家が存在していたことを初めて知りました。
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二代将軍・秀忠の三男である忠長(家康孫)が1624年に駿河国(静岡県中部、東部地区)、遠江国(静岡県西部地区)の一部、甲府藩の合計55万石を拝領し、駿河徳川家を創設した。
しかし、不行跡を理由に父である秀忠より蟄居を命ぜられた後、兄である3代将軍・家光によって改易され、高崎に幽閉されたあとに幕命により自刃したことにより駿河徳川家は一代で断絶。
尾張徳川家(家康九男)、紀州徳川家(家康十男)、駿河徳川家(家康孫)で御三家と言われた時代もあった。
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ちなみに、水戸徳川家(家康十一男)は駿河徳川家が断絶した後の創設なんだそうです。
この記事を投稿する前に、ネットで調べた歴史情報がおもしろく、あっという間に2時間半も経過してしまいました。
若い時から歴史に興味を持っていたらと思うばかりですが、今さらだけど調べれば調べるほどおもしろいです。
しかし、年齢のせいも有りますがインプットされたと思っても直ぐに細かいところを忘れてしまうのが問題かなぁ〜・・・(汗)
徳川忠長(2代将軍秀忠の三男・家康の孫)
2019年5月4日
2019_05/04