NHKドラマ西郷どんが面白い!
13代将軍、徳川家定の後継者を誰にするのか・・・?
ちなみに最後の将軍、15代将軍である慶喜は将軍職を解かれた後に我が静岡市に28年間も住んでいたこともあって、徳川宗家を継いだのは誰かと調べたら養子にした家達という方でした。(1863〜1940年)
この家達の幼名は「亀之助」で静岡藩の初代藩主にもなっているんです。
弊社の創業者であり、私の祖父の名前が「亀之助」(1900年生まれ)なので、私の曽祖父が家達の幼名を祖父の名前に付けたのではないかということが分かりました。
なんか我が家の歴史の一部が解き明かされたような気がして、とっても嬉しいです。(笑)
村田亀之助
2018_03/19
亀之助は由緒ある名前だった・・・・!
2018_03/18
日章旗の歴史
火曜日から金曜日まで皇居勤労奉仕活動でしたが、皇居内の皇宮警察本部に国旗が掲げられていたのが印象的でした。
ふと、日本の国旗はいつからあるんだろうと・・・・。
調べてみると、法律上の名前は「日章旗」
・・・・・日本人は昔から農耕や漁労において太陽を信仰の対象としてきたし、皇祖神「天照大神」は太陽神。
弥生時代から古墳時代(3世紀中期〜7世紀頃)にかけて祭器として使われた内行花文鏡の模様は太陽の輝きをかたどったものと言われている。飛鳥時代末期に国号を「日本」(日ノ本)と命名。
太陽を象った旗を用いるようになったのは、645年(大化元年)の大化の改新以後、天皇による親政が確立された頃からと考えられ、文献としては、797年(延暦16年)の『続日本紀』の中にある文武天皇の701年(大宝元年)の朝賀の儀に関する記述において、正月元旦に儀式会場の飾りつけに「日像」の旗を掲げたとあり、これが日の丸の原型で最も古いものといわれているが、白地に赤丸ではなかったと見られている。・・・・・
仮に701年からだとすると、1300年も前から使われていたことになります。
調べてみないと分かりませんが、おそらく世界の中でも最古ではないのかと。
小学校の時に教わったのかどうか全く覚えていませんが、改めて世界に誇れる国旗だということが分かりました。
日章旗
2018_03/17
本日、坂本光司教授「最終講義」
恩師である、法政大学院政策創造研究科教授である坂本光司先生が本年度で定年を迎えるにあたり、本日最終講義が開催されます。
会社経営の在り方を唱え続け、いまでは先生の言われていた事がとても大事なことだとだと認識され、まず、社員の幸せを考える経営者が増えてきたのは生徒である我々も肌で感じているところでもあります。
人間的にも尊敬でき、いつも生徒の目線で話をしてくれる先生。
困った人がいると、手助けしなくてはいられない先生。
本日が最終講義ですが、やりたいことが山ほどあると。
これからも坂本先生のご活躍を心から祈るばかりです。
追伸、
最終講義が開催される市ヶ谷校舎は400人以上の参加申し込みがあり、既に定員に達したため受付終了となっています。
大学HPより・・・・・
坂本先生は大学院政策創造研究科の創設以来、
坂本光司先生
2018_03/16
浅草仲見世商店街
浅草浅草寺にある仲見世商店街は結構有名な観光場所でもあります。
調べてみると、日本でも最古の商店街の一つだということが分かりました。
徳川家康が江戸幕府を開いてから、江戸の人口が増えたことで浅草寺への参拝客も一層賑わいにつれ、浅草寺境内の掃除の役を課せられていた近隣の人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられたのが仲見世の始まりで、1688年〜1735年の頃だと。
雷門は1865年に焼失してから95年もの間、存在していなかったけど松下幸之助氏の寄進で建立されたそうです。
だから雷門にある巨大な提灯には「寄進 松下幸之助」と書かれてあるんですね。
浅草仲見世商店街
雷門 提灯
2018_03/15
江戸城
歴史にうとい私は江戸城は徳川家康が更地から築いたお城だとばかり思っていましたが違っていました。
調べてみると、・・・・・・・・・・
江戸城の発端は,12世紀初めごろ江戸重継が,荏原郡桜田郷の北東部,江戸湾に臨む台地上に設けた居館で,その場所は近世江戸城の本丸台地上と推定されている。
江戸氏没落後の1457年、その居館跡を拡張して江戸城を築城したのが室町時代の武将、太田道灌。
その後、1524年に北条氏の支城となり、豊臣秀吉の討伐による北条氏滅亡後の1590年徳川家康の居城となった。
外濠の開削、石垣、土手などの建築・改築により、3代将軍家光の1636年頃には江戸城の総構が完成した。・・・・・・・・・・
なるほどねぇ!
現在の皇居内には「道灌掘り」という堀があるので、徳川家康の命により太田道灌が築いたとばかり思っていました。
皇居 宮内庁HPより
2018_03/14
内定者が制作しました
4月に3人が入社します。
1人の工業高校生(名古屋市)を除いた2人が内定者研修で制作した求人用パンフレット。
社長の私は一言も口を出しませんでした。
仕事は硬いことをやっていますがが、こういのは柔らかいのがいいですね。
弊社のテレビとラジオで流しているCMを知っている方は「なるほど!」と思っていただけるのではないでしょうか。
ちなみにこのパンフレットには業務内容が一切書かれていません。(;^_^A
村田ボーリング技研 求人用カタログ
2018_03/13
社長の平均年齢!
東京商工リサーチが2017年の全国の社長の平均年齢を発表したがそれを読むと、
全国平均が61.45歳なので、60歳の自分が正に平均に近い年齢だということ。
同時に70歳以上になると時代に即した経営方針を打ち出せないために減収や赤字の割合が最も多いということも書かれてあるので、あんまり長くやるのも問題有りなんですねぇ!
それにしても後継者がいないということが一番の心配の種になるのは間違いないようです。
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昨年は、前年より0.26歳延びて61.45歳となり、調査を開始した2009年以降で最高年齢を更新し、団塊世代の社長交代が進まず、高齢化が一層顕著になった。
社長年齢と業績の関係では、70代以上は「減収」、「赤字」の割合が最も多い。「連続赤字率」も10.7%に達し、経営者の高齢化は、過去の成功体験へのこだわりや時代に即した経営方針を打ち出せないほか、後継者がいない場合は生産性向上につながる投資にも消極的で、業績悪化につながっているとみられる。
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都道府県別 社長平均年齢 出典:東京商工リサーチ