先日、都内にあるホテルニューオオタニで政府系銀行主催の全国総会に出席したのですが、
四ツ谷駅からホテルに向かう途中の「尾張名古屋藩屋敷跡」の石碑に興味深いことが書かれてありました。
要約すると、尾張徳川家屋敷(現上智大学)の隣に井伊直弼家屋敷(現ホテルニューオオタニ)が、その隣に紀伊徳川家屋敷(元グランドプリンスホテル赤坂)があり、明治5年にそれぞれの頭文字をとって紀尾井町となったと。
「なるほどねぇ・・・!」
尾張名古屋藩徳川家屋敷跡
この一帯は、江戸時代には尾張名古屋藩徳川家の麹町低がありました。寛永14年(1637)に拝領してから、藩主や世嗣が一時的に居住するなど様々な使われ方をしました。
尾張徳川家は、徳川家康に始まる家で、紀州家(十男頼宣)、水戸家(十一男頼房)と共に、御三家と称され、義直が年長で知行高も多かったため、御三家筆頭となり大名の最高位に位置しました。
義直は、慶長8年(1603)甲斐府中藩主、ついで慶長12年(1607)尾張清洲藩主を経て、後に名古屋藩主となり、尾張一国と木曽の山林を領地としました。尾張徳川家は以後、加増を重ねた結果、石高はほぼ61万9500石となり、16代にわたって明治維新まで続きました。
明示5年、この地域は紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家の頭文字を合わせて、「紀尾井町」になりました。
千代田区環境協会HPより
2018_10/20
東京都千代田区「紀尾井町」の由来!
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コメント(5)
なるほど!
知らないことを知るのは
勉強になります。
ありがとうございます!
感謝します!
おはようございます。(^^)
頭文字が地名とは面白いですね。(^^)
ニューオータニには丸の内線で赤坂見附で向かいますが、四ツ谷駅からも行けますね。
きょうは作業して疲れてますから
応援しておきます。ぽち!
おはようございます。
昔も今も一等地!!
多くの大活躍の皆様が住む街です。
それにしても、個人の敷地で広大な敷地です。