「終戦間際に特攻隊に志願した!」
子どもの頃、耳にタコができるくらい父から聞かされました。
許可日、昭和20年8月5日、父・村田保18歳
学校を卒業後、自分の意思で決めて祖父に報告したところ「分かった」と返事をしてくれたという。
登録が許可されてから10日後に終戦を迎えた訳ですが、命を捧げようと決意した父の意思は本当に凄いことだと思います。
そして祖父や祖母の気持ちがどんなであったか計り知れません。
自分だったら何と答えるだろうか?
今の平和な日本があるのも約230万もの兵員と約80万人もの一般市民の尊い犠牲があったことを絶対に忘れてはなりません。
「神風特攻後続隊」の事を知覧特攻平和記念館と鹿屋航空基地史料館に問い合わたのですが、その存在のことは知らなかったので終戦間際に急ごしらえで編成された部隊なのかもしれません。
2017_09/05
子供の頃、父から良く聞かされました!
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コメント(8)
溶射屋さん、おはようございます!
「神風特攻後続隊」の存在は初めて知りました。僕の父親も志願したそうですが年齢不足で入隊出来なかったと子どもの頃に何度も聞きました。いろいろ考えさせられますね。
今日もよろしくお願いします。
おはようございます。
その当時は国の為に・・・
今はそういうのが無いから平和ですね。
それもそういう事があったから今がある 感謝です。
ぽちっ!
おはようございます。
私の父も19歳で志願して満州に行っていました。
戦争がいいはずはないですが、国を守る、家族を守る意志は現在の日本では消えかけています。
現在の日本の国防の基本は食糧、エネルギーの自給率向上なのですが。(^^;
お父様、尊敬します。
先日、靖国神社に行ってきました。
自然と背筋が伸びたような気がして
心からお参りしました。
こんにちは。
お父様
素晴らしいですね。
おはようございます。
18歳で志願した「神風特攻後続隊」
どんな気持ちだったんだろう。
計り知れない思いです。
なんとコメントしていいのか言葉がみつかりません
おじ2人が戦死しています。
亡くなった場所は沖縄の海の遥か彼方だと聞きました。
沖縄に旅行した際、祖母が戦没者の記念碑の前で
長い時間佇んで海を見ていた姿が忘れられません。
おじ達やたくさんの尊い命でこの国が守られていたこと忘れてはいけませんね。