性善説と性悪説!
僕は昔からなんでも真面目に取り組む方でした。
小学校から高校生の間、教室の掃除など適当にやる同級生もいましたが、何事にも手を抜くことが嫌いで一生懸命にやるのが基本スタイルで現在に至っています。
最近ふと、性善説と性悪説は多感な時期とか青春時代、事に当たるのに自分がどう思って取り組んできたかがベースとなって、どちらかになっているんだな、ということに気が付きました。
さきほどの学校の掃除を例に上げれば、先生がいなくとも真面目に取り組んでいたような人は、自分もそうだから他人も同じ考えという「性善説」となる。
そして逆もしかり。
でも、社会人となっての環境によっても変化しますね。
どうなのかな?
2017年7月27日
2017_07/27