性善説と性悪説!
僕は昔からなんでも真面目に取り組む方でした。
小学校から高校生の間、教室の掃除など適当にやる同級生もいましたが、何事にも手を抜くことが嫌いで一生懸命にやるのが基本スタイルで現在に至っています。
最近ふと、性善説と性悪説は多感な時期とか青春時代、事に当たるのに自分がどう思って取り組んできたかがベースとなって、どちらかになっているんだな、ということに気が付きました。
さきほどの学校の掃除を例に上げれば、先生がいなくとも真面目に取り組んでいたような人は、自分もそうだから他人も同じ考えという「性善説」となる。
そして逆もしかり。
でも、社会人となっての環境によっても変化しますね。
どうなのかな?
2017_07/27
性善説と性悪説!
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コメント(8)
溶射屋さん、おはようございます!
心に余裕がなくなってくるとついつい性悪説になりがちです。そうするととげとげしくなります。心穏やかにいきたいですね!(^^)!
今日もよろしくお願いします。
村田さんのお人柄が伺えます
おはようございます。
世のため人のためになるのが性善説?
第三者が決めること。(^^)
田舎の無人販売は性善説ですね
こんにちは。
うーん、難しいですね。
考えても分かりそうにないので考えないで生きていこうと思います。
難しいことは、考えない性格です。(^^ )
こんにちは!
人や環境も一因ですね。
溶射屋さんの下で働いていると心も伸びやかに成長できそうです。
溶射屋さん、こんばんは!
環境が心に影響をすることがありますね。
心の優しい世の中になって欲しいですね。
おはようございます。
いろんな考えたかや方法があるけれど、最後に勝利するのは!!
「一生懸命に歩み続けた者」と信じています。