社長ブログ
溶射屋
日々の気づきを投稿中

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2015年12月

2015_12/24

沖縄 首里城

沖縄に行けば必ず訪れる場所の一つが首里城

沖縄はその昔は独立した国だったと思うのですが、いつのころから日本国に組み入れられたのかということが今回の視察で初めて分かりました。・・・って、調べればわかる事ですが・・・・?(^^ゞ

1611年に島津藩が関節支配するようになり、日本国に組み入れられたのだと。

そして戦争中に破壊されたこと、1980年までその場所に琉球大学があったことも知りませんでした。

いつも思うことですが、現地現場に行き、その場の空気を肌で感じることは大切なことだし得るものが多いです。

また、いつもそうですが記事を書くにあたって、改めて調べたりするので振り返り学習ができることは、自分自身の知識の巾を広げることにも繋がります。

ちなみに沖縄の歴史を簡単に振り返ると、

首里城は、1429年から1879年まで450年続いた琉球王国の象徴であった。

1611年に薩摩藩が琉球を間接支配するようになる。

1879年(明治12年)の沖縄県設置に至る琉球処分以後は、正殿など首里城の建物は政府の所在地としての役割を喪失し、日本陸軍の第6師団(熊本)の軍営として、その後は学校などとして利用される。

王宮でなくなった首里城は急速に荒廃が進み、老朽化が激しく崩壊寸前の状態になった。既に門のいくつかは取り壊されており、正殿の取り壊しも検討された。

しかし、関係者の奔走により保存が決定され、昭和初期に正殿の改修工事が行われて国宝に指定され、県社沖縄神社の社殿となり源為朝と歴代国王が祀られた。

太平洋戦争中の沖縄戦において日本軍が首里城の下に地下壕を掘り陸軍第32軍総司令部を置いたこともあり、1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、27日に焼失したとされる。

1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残る。

1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元が行われた。

首里城
首里城・・・11月28日に撮影しましたが、さすがは沖縄、半袖でちょうど良かったです。

首里城 守礼の門
守礼の門・・・逆光がまぶしかった〜!

2015_12/23

新たな気づきを得ました!

昨晩、静岡市内にあるデパートにある和食系レストランに妻と一緒に入りました。

店内は空き席がちらほらあり、忙しいという感じはありません。

料理を注文して待っていたところ、斜め左のテーブルに座った方のジャケットが床に落ちました。

「落ちましたよ」と声を掛けようとしたところ、店員さんが真横を通ったので、拾うものとばかり思っていたら、そのまま無視して素通り。

「えっ!?」

瞬間、店内にいるスタッフのモチベーションが下がっていると感じました。

案の定、持ってきた生ビールが中途半端にしか冷えていなく、発泡酒と思うような味。

注文した「とんかつ定食」の衣が硬くて食べづらく、味噌汁がぬるい。

以前きた時には、そんなことは思わなかったのですが、今回は妻ともども印象を悪くして店を出ました。

ネットでこの会社を調べたら1986年の創業で、資本金2億4000万円、社員数3,900人という堂々たる会社です。

社長の言葉に、「イキイキと活躍するスタッフのおかげで、国内の店舗数は、200店舗を超えております。今後10年で400店舗に増やそうとしています」と書かれてありました。

この文章を読む限り、「この会社のトップは、会社を急成長させることが一番の目的なんだろうなぁ」と思ってしまいました。

いつもそうですが、自分のことは分からないもの。

「他人のふり見て我が振り直せ」・・・、今回も新たな気づきを得ることができました。

ソニーDVDプレーヤー
DVDプレーヤー・・・会社に設置してあるのが壊れてしまったので、昨晩行ったデパート内にある家電量販店で購入(4,850円)

2015_12/22

西精工さんの西社長さんは飲みニケーションも凄い!

日本で一番社員満足が高いと言われている徳島市にあるナット製造メーカーの西精工(株)さん。

数年前の社員満足度が98%という凄い会社。

ある会の懇親会で西社長さんの横に座ることができたこと、とってもラッキーでした。

色んなお話しをさせていただきましたが、やっぱり素晴らしい社風を作るような方は行動力が半端ではありません。

ちなみに社員とのノミニケーションを大事にしているそうですが、一週間のうち7回の時もあるそうです。

週6回というのは珍しいことではないそうですが、これを聞いただけでも社員とのコミニケーションを大切にしているということが伝わってきました。

西精工 西社長
西精工(株)  西泰宏社長

 

 

2015_12/21

沖縄戦跡視察!

何ごとも現地現場に行き、その場の空気を感じることは必要なことだと思っています。

過去の戦争で、多大な犠牲があったから今の平和があるということを絶対に忘れては行けません。

昨年は弊社の管理者と一緒に知覧特攻平和記念館を視察しましたが、

今年は上陸戦があった沖縄の戦跡地を視察してきました。

どのような悲惨な出来事があったのか・・・、ほんの一部だけですが肌で感じて帰ってきました。

・対馬丸記念館
・旧海軍司令壕
・ひめゆり平和記念資料館
・沖縄県平和記念資料館

以下沖縄戦についてWikipediaから抜粋。

「陸海空において日米の大兵力が投入された沖縄線」

使用された銃弾・砲弾の数は、アメリカ軍側だけで2,716,691発。このほか、砲弾60,018発と手榴弾392,304発、ロケット弾20,359発、機関銃弾3,000万発弱が発射された。地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われたため、「鉄の暴風などと表現される。

日本側の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人。

県外疎開や本島北部への避難が許可されたのは、60歳以上と15歳未満の者などに限られ、それ以外の人々は根こそぎ動員や徴用されたため戦場に取り残されることとなり、軍と住民が混在し、住民に多大な犠牲を出すことになった。

津市丸記念館
津市丸記念館 沖縄戦に備えて県外に疎開しようとした、たくさんの子どもたちを載せた輸送船が米潜水艦の魚雷で沈没。乗船者1788名(船員・乗船者)のうち8割が犠牲となる。


旧海軍司令豪
旧海軍司令豪跡地にある石碑・・・「軍艦大和」の名前も刻みこまれています。沖縄を襲撃する米艦隊迎撃のため、鹿児島県にある陸軍知覧基地や海軍鹿屋基地から数多くの神風特攻隊が出撃する。


ひめゆりの塔
ひめゆりの塔・・・「ひめゆり」の愛称で親しまれていた若い女学生240名が沖縄陸軍病院の看護要員として駆りだされ犠牲となる。


平和の礎
平和記念公園内にある平和の礎・・・各県の犠牲者の名前が石碑に刻み込まれています。


2015_12/20

「席を倒してもいいですか?」

昨日、東京に向かう新幹線。

前の席についた若者が「席を倒してもいいですか?」と聞いてきました。

「勿論いいですよ!」と答えましたが、声を掛けてもらうとその場の雰囲気がパッと明るくなります。

若い方からこのようにキチンと言われたのが久しぶりだったので、その後ずっと気持ちがほんわかしていたのは言うまでもありません。

この方、とっても素敵な好青年でした。

新幹線車内

2015_12/19

名古屋工場の忘年会でした!

昨晩は弊社名古屋工場の忘年会開催日。

2時間飲み放題だったのですが、2時間経ってアルコールのオーダーストップ後も盛り上がり、気が付いたら3時間が経過していました。

それだけこの会が楽しかったということなのでしょうね!

そうそう、昨日はIさんの誕生日だったのでケーキをあらかじめ用意してもらいみんなで「♫ハッピバースデー♫」で祝福

包丁がなかったので箸で切ったので写真のような形になってしまいましたがケーキはとってもおいしかった〜。

静岡から往復320キロを運転してくれたIさん本当に本当にご苦労様。

帰路は車に乗った途端に寝てしまい、気が付いたら自宅前に着いていました。

懇親会
村田ボーリング技研 名古屋工場 忘年会

サプライズ誕生日ケーキ
Iさんのサプライズ誕生日ケーキ・・・包丁がなかったのでお箸で切ったらご覧のとおり!(^^ゞ

名古屋工場 忘年会
村田ボーリング技研 名古屋工場 忘年会

2015_12/18

大久保寛司著「考えてみる」

大久保さんは、元IBM社員で、CS(顧客満足)部長を最後に51歳で独立。

部長職の時に社長を含め、役員に対して社内研修会をも行ったことがあるそうです。

「言葉だけでは人は変わらないし、心から動かない」

「相手に、どれだけ気づきを与えることができるか」

大久保さんのコーディネートする視察会に出席して数多くの学びを得ました。

氏が書いた書籍やDCD,CDを毎日のように読んだり見たり聞いたりしていますが、その度に反省させられることばかり!

写真の大久保寛司著「考えてみる」・・・出会いに学び、己に問いかけ、心を磨く、須玉の言葉たち・・・もその一つ。

大久保さんの話しを一度でも聞いた方だったら、特に心に響いてくること間違いありません。

本の裏表紙に書かれていた言葉!

最近、自分でわかってきたことがあります。
それは自分がわかっていなかったこと、わかっていないことです。
自分にはまだまだ見えていない、そのような自分がみえてきました。
書きつづったものの多くは、自分に向けた言葉です。
なりたい自分の姿でもあります。
恥ずかしいことですが、これが自分のレベルです。
10年後に振り返ったとき、少しでも進歩向上している自分でありたいと思います。

大久保さんに出会ってから、謙虚に生きていくことの重要性を感じています。

大久保寛司著 考えてみる
大久保寛司著 考えてみる


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