沖縄に行けば必ず訪れる場所の一つが首里城
沖縄はその昔は独立した国だったと思うのですが、いつのころから日本国に組み入れられたのかということが今回の視察で初めて分かりました。・・・って、調べればわかる事ですが・・・・?(^^ゞ
1611年に島津藩が関節支配するようになり、日本国に組み入れられたのだと。
そして戦争中に破壊されたこと、1980年までその場所に琉球大学があったことも知りませんでした。
いつも思うことですが、現地現場に行き、その場の空気を肌で感じることは大切なことだし得るものが多いです。
また、いつもそうですが記事を書くにあたって、改めて調べたりするので振り返り学習ができることは、自分自身の知識の巾を広げることにも繋がります。
ちなみに沖縄の歴史を簡単に振り返ると、
首里城は、1429年から1879年まで450年続いた琉球王国の象徴であった。
1611年に薩摩藩が琉球を間接支配するようになる。
1879年(明治12年)の沖縄県設置に至る琉球処分以後は、正殿など首里城の建物は政府の所在地としての役割を喪失し、日本陸軍の第6師団(熊本)の軍営として、その後は学校などとして利用される。
王宮でなくなった首里城は急速に荒廃が進み、老朽化が激しく崩壊寸前の状態になった。既に門のいくつかは取り壊されており、正殿の取り壊しも検討された。
しかし、関係者の奔走により保存が決定され、昭和初期に正殿の改修工事が行われて国宝に指定され、県社沖縄神社の社殿となり源為朝と歴代国王が祀られた。
太平洋戦争中の沖縄戦において日本軍が首里城の下に地下壕を掘り陸軍第32軍総司令部を置いたこともあり、1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、27日に焼失したとされる。
1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残る。
1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元が行われた。
首里城・・・11月28日に撮影しましたが、さすがは沖縄、半袖でちょうど良かったです。
守礼の門・・・逆光がまぶしかった〜!
2015年12月24日
2015_12/24