「数多くの戦争犠牲者があったからこそ今の平和がある」ということを学ぶ為に、数年を掛けて弊社の部課長と一緒に全国の戦跡地を視察する予定にしています。
昨年は知覧特攻平和記念館に行きましたが、今回は沖縄でした。
「対馬丸記念館」
昭和19年(1944)7月、サイパン島が玉砕したことにより、アメリカはB29爆撃機で日本のほぼ全土を空襲できるように。
政府は老・幼・婦女子10万人を県外へ疎開するよう指示。同時に軍需物資の輸送も同時に行う事となり、輸送船は一部を除いて往路は軍事輸送、復路は疎開輸送する任務についていた。
対馬丸は学童集団疎開の子どもたちをたくさん乗せ8月21日に那覇港を出講しましたが、1788名を乗せた対馬丸は翌22日夜10時過ぎに米潜水艦の魚雷攻撃により海に沈められ、乗船者の8割が亡くなった。
「先生助けて!」「お母さん、お父さん助けて!」
対馬丸撃沈されたことは事件については緘口令が敷かれ極秘扱いになった。
対馬丸撃沈から49日後の10月10日には米機動部隊飲む差別爆撃が始まり、朝7時から夕方までに五次にわたり、都市部を含み飛行場や湾港などの軍事施設が空襲されたそうです。
沖縄には何回か来ていますが今回、このようなことがあったことを初めて知りました。
文章を読んだだけでは伝わらないことも、現地現場に行き、その場の空気を感じることで、より大きい学びが得られます。
対馬丸記念館