大学卒業後、すぐに村田ボーリング技研に入社して名古屋工場製造部に配属されました。
当時は高度成長時代、工場内にはお客様の品物で溢れかえっていた時代で、夜の9時〜10時までは仕事をするのが当たり前でしたが、何の苦痛もありませんでした。
若かったせいもあるでしょう、営業が静岡本社に品物を持っていかなければならないような時でも「僕が持って行きます」と言っては夜の東名高速道路往復320キロを走ったものです。
戻るのが朝の5時ごろ、仮眠してそのまま8時からの仕事をしていましたが全く平気でした。
そんな、環境でしたが、今から思うと本当に楽しかった思い出しかなく、今よりも生き生きしていて元気もありました。
村田光生・・20代前半