僕は、卒業後に直ぐに村田ボーリング技研・名古屋工場・製造部に配属。 当時は、作れば売れて、イケイケドンドン、バブル絶頂期に向けて一直線の高度成長時代でした。 当時、非常に厳しい上司がいて・・・・・今でも元気で活躍中です(^_^)・・・・・「お前は社長の息子だから1年間は残業代を付けない!」 でもそれは当たり前と思っていました(^^) 当時は黙っていても仕事がじゃんじゃん入ってきて、定時が21時〜22時ごろ。 徹夜の仕事も何回も経験。 入社当時は事務員がいなかったので、機械(円筒研削盤)を操作していても電話がなると、機械を止め、事務所まで走っていって電話応対! それと、今でもそうかも知れませんが、愛知県の夏は半端無く暑いし、冬はむっちゃ寒い!! 夏はTシャツに作業ズボン姿、冬はあまりに寒いので、朝出勤して機械のハンドルを掴むと凍っているので手が張り付いてしまうことが数々、 スポットヒーターの前から離れる事ができないので、ヒーターを真後ろにおいての作業だったです(^_^;) 正直、愛知県は、住むところではない」と思いましたが、2年目からは慣れましたね!(^^) そうそう、そんな中、営業が静岡本社(距離片道160km 、2時間半)に持っていかなかればならない仕事は「僕が行くよ」と買って出て、 夜の10時に出発、 静岡本社着が12時半、 荷降ろし、積込みが1時間半、 会社の近くのどさんこラーメンに2時位に入り、味噌ラーメンの大盛りを注文! 名古屋工場着5時頃・・・、 車の中で仮休眠して8時から仕事開始! そんなことを当たり前にやっていました\(^o^)/ そんな、環境の中でしたが、今から思うと本当に楽しかった時代、今よりも生き生きしていて、元気もあったと思います^^; 溶射屋・・・多分25歳〜27歳頃かなぁ・・今から29〜27年前です^^; 当時は製造担当ではありましたが、営業に代わって納品・引取も兼務! 懐かしいなぁ・・この時代はとにかく納期を間に合わすことだけに集中していました(^^)