父(妻のお父さん)・・1928年(昭和3年)生まれ。 82歳 1942年14歳で軍隊に志願、広島県大竹で2ヶ月の新兵訓練 その後、横須賀久里浜にて海軍通信学校に入学し1年とちょっとで2代目「対馬」に乗船し17歳で終戦を迎える! 防護艦 対馬 1943年 7月 日本鋼管にて竣工 1943年 8月 第1上護衛隊に編入。 船団護衛任務に従事 1944年11月 第101戦隊に編入。 船団護衛任務に従事 1945年 8月 佐世保にて終戦を迎える。 1945年10月 除籍。復員船として使用される。 1947年 7月 戦時賠償艦として中国に引き渡され1966年まで 現役 対馬主要武装・・・12cm砲3門・爆雷投射機1基(36個) 基準排水量 870t 全長・・・76.2m 速度・・・19.7ノット 戦艦「大和」:WikiPediaより 起工1937年11月・1945年4月 沈没 父は、「防護艦対馬の基地は呉だったので、呉に戻って来た時にドッグに入っていた”山のように大きい大和を見たことがある”」と話をしてくれました。 戦艦大和を肉眼で見たことがある人がこんなにも身近にいたというだけで感動してしまった溶射屋でありました(o^ ^o) / それにしても14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていたなんて凄いなぁと思います。 14歳って中学校2年生で、16歳ったら高校1年生!! 志願した父も偉いですがそれを認めた両親も凄いですよね。 いつまでも元気でいてもらいた思っております(*^-^*) 追伸・・・今日から、金曜日までは仕事の関係で皆様のところにはお邪魔ができません。コメントいただいても伺うことができないこと大変に申し訳ありません・・・・(´_`。)
コメント(44) コメントを書く たくみの里のふくさん 2010年3月16日04:36 おはようございます。 今日からお忙しくなられるのですね。 お仕事に集中していただくのが一番です。頑張ってください。 82歳のお父様のお話は、驚きですね。14歳の時の志願ですもの、心構えと情熱が違いますね。世の中のムードも全く別物ですから、ご両親もお喜びになったんでしょう、きっと。 しかし、戦時賠償艦として中国に引き渡された艦があったとは知りませんでした。 京丹後のおやじですさん 2010年3月16日06:36 おはようございます >父(妻のお父さん)・・1928年(昭和3年)生まれ。 82歳 お元気そうですね。(^^) >1942年14歳で軍隊に志願、広島県大竹で2ヶ月の新兵訓練 その後、横須賀久里浜にて海軍通信学校に入学し1年とちょっとで2代目「対馬」に乗船し17歳で終戦を迎える! 昔の人の活躍を見ていると成人は果たして20歳なのか? 何歳が成人なのか疑問に思います。 戦争を企てた人物図鑑を今日掲載しました。 パンツ屋さん 2010年3月16日07:23 溶射屋さん、おはよございます。 いつもありがとうございます! すごいですね、帝国海軍ですね。 私にとっては通信士、船乗りの先輩です。 当時は、お国のために命をささげること、当たり前だったのでしょうね。 凄いことです。 (有)ダイキョーさん 2010年3月16日07:40 身近に語りべがいるなんてすごいですねー。 一昨年、知覧にいきました。 少しでも戦争に関することを後世に伝えていけたらと思います。 理系Gさん 2010年3月16日07:43 溶射屋さんおはようございます。 お父様、82才なのにお元気そうでなによりです^^ 笑顔がステキですね。 私の周りでは、よく満州の話をしてくれた祖父が亡くなり、戦争経験者は祖母だけになりました。 大切な事は、色々聞かせてもらった話を忘れず、戦争の悲惨を後生に伝えていく事だと思っています。 木仙人さん 2010年3月16日09:00 おはようございます 溶射屋さん >それにしても14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていたなんて凄いなぁと思います 本当にスゴイですね 中学生や高校生の若者にそこまで決心させるほど日本の立場は危うかったのですね いつまでもお元気で語り部になっていただきたいです 中古パソコン屋さん 2010年3月16日09:53 こんにちは。 >14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、>日本の為に命をささげていた すごいことですね。 今では軍事主義だ、なんだかんだで悪という見方をされる風潮ですが、その気持ちは純粋だったと思います。 甲州市学習塾のこばやしさん 2010年3月16日10:52 溶射屋様、こんにちは お父様の戦争体験のお話に驚きました 戦艦大和は大きかったのですね >14歳で軍隊に志願、広島県大竹で2ヶ月の新兵訓練 凄い時代を生き抜いてこられたのですね いつまでもお元気に過ごしくださるとですね(*^ー^*) お仕事がんばってください♪ 単身赴任のYHさん 2010年3月16日12:24 こんにちは。 わ〜、生きた歴史が語れる方が身近にいらっしゃっるんですね! うらやましいです〜。 大和を実際に見たなんて、これもすごいです。 鹿児島には知覧という、元特攻基地があります。この記念館に展示している辞世の手紙を読むと、涙が止まりません。みんな20歳前後なんです。 こういう人の存在を忘れてはいけないな〜と思います。 ポチッ! shidaさん 2010年3月16日12:35 こんにちは <志願した父も偉いですがそれを認めた両親も凄いですよね ・・・・本当に凄いですねー 色々なことを見て来た方ですからお話も聞いていて飽きない事と思います。 羨ましいです。 誕生日プレゼント工場さん 2010年3月16日15:39 こんにちは。 戦争は私たちの世代にはもう遠い世界の事のように思えますが、 まだ世界では戦争しているところもあるのですよね。 二度と繰り返さない為にもこういう方々のお話を聞く機会を大切にしていきたいですね。 私の家系で戦争経験者はもういなくなってしまいました。 みんなニコニコ医療食のよっしーさん 2010年3月16日17:27 こんにちは! すごいですね! 歴史を体感されておられるのですね。 新潟スイーツ・ナカシマさん 2010年3月16日18:02 溶射屋さん、こんばんは! 私のおじいちゃんはもうなくなりましたが、子供のころはよく戦争の話しをしてくれました! 溶射屋さんのお父様に私のおじいちゃんを重ね合わせてみてしまいます… おじいちゃんっ子だったのであの時聞いた話は私の財産ですね^^ 新米とーちゃんさん 2010年3月16日19:19 こんばんは! 身近にこういう貴重な方がいること、 話が直接聞けることはとても素晴らしいことですよね。 いつまでもお元気で! 技術研究所よーこさん 2010年3月16日20:20 溶射屋様 こんばんは! 奥さまのお父様は横須賀の海軍学校に行かれたんですね。私の父も良く横須賀の話をしていました。 志願兵ですか。同じ年頃の子どもを持つ母親としてご両親はどんな思いで見送ったのか、それが切なかったです。 でも戻られてとっても良かったです。 もう戦争は絶対に起きて欲しくないですね。 横須賀海軍カレーご存知ですね(*^_^*) 昆布巻きのうおぬま屋店長さん 2010年3月16日21:48 こんばんは。 >志願した父も偉いですがそれを認めた両親も 確かに。 でも、危なかったですね。 純粋な少年を犠牲にしようとした、軍部が憎い気もします。 meganeさん 2010年3月16日22:57 こんばんは、いつも有難うございます。大和は、子供時代にプラモデルで作りましたが、「山のように大きい」、すごいのだろうな、模型では実感がわかないですね。 日南海岸黒潮市場フルサワさん 2010年3月16日22:58 溶射屋さん、こんばんは! とても血色がよろしいお義父さんですね!^^ 先人の方の、特に戦時中のお話は伝えていかないといけませんね。^^ 町の 気のいい箱屋さんさん 2010年3月16日23:13 溶射屋さん お世話様です。箱屋です。 >それにしても14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていたなんて凄いなぁと思います。 箱屋の母方の祖父も、渥美の百姓やの倅でしたが海軍に志願していました。 孫は、箱屋も含め9人いますが、一人だけが広島の海上自衛隊の士官学校に進みました。 偉い従兄だと思います! ティンカーベルさん 2010年3月16日23:19 あの時代の方々は、早くから大人の心をお持ちだったのですね。 何時までも子供でいられるのは幸せな時代だからこそですね。 今の平和を築いて下さった諸先輩に感謝します。 TWINSさん 2010年3月17日00:44 こんばんは〜 スミマセン! ネガティブな感想ではないのですが、 14歳で軍隊に志願するような国には してはいけないと思いました。 当時はそれが大きな価値観だったんですよね。 生の声を聞き、伝承していって欲しいと思いました。 かいりさん 2010年3月17日00:59 溶射屋さん こんばんは >戦艦大和を肉眼で見たことがある人がこんなにも >身近にいたというだけで感動してしまった >溶射屋でありました(o^ ^o) / これって凄いですね。かなり大きかったのですね♪ これから先 戦争がおこってはいけませんね♪ 溶射屋さん 2010年5月29日12:38 たくみの里のふくさん こんにちは! >82歳のお父様のお話は、驚きですね。14歳の時の志願ですもの、心構えと情熱が違いますね。世の中のムードも全く別物ですから、ご両親もお喜びになったんでしょう、きっと。 そう言う時代があったと言うことが今では信じられないです。 >しかし、戦時賠償艦として中国に引き渡された艦があったとは知りませんでした。 父からも聞いて調べてもそうでした。 溶射屋さん 2010年5月29日12:40 京丹後のおやじさん こんにちは! >>父(妻のお父さん)・・1928年(昭和3年)生まれ。 82歳 >お元気そうですね。(^^) 元気なのが嬉しいです♪ >昔の人の活躍を見ていると成人は果たして20歳なのか?何歳が成人なのか疑問に思います。 命を掛けて日本を守ってくれたらこそ今の平和があると思います。 溶射屋さん 2010年5月29日12:42 パンツ屋さん こんにちは! >いつもありがとうございます! こちらこそいつもありがとうございます。 >すごいですね、帝国海軍ですね。私にとっては通信士、船乗りの先輩です。 そうでしたね♪ >当時は、お国のために命をささげること、当たり前だったのでしょうね。凄いことです。 そのお陰で今の平和があるのだと思います。 溶射屋さん 2010年5月29日12:42 ダイキョーさん こんにちは! >一昨年、知覧にいきました。少しでも戦争に関することを後世に伝えていけたらと思います。 大事な事ですね! 溶射屋さん 2010年5月29日12:43 理系Gさん こんにちは! >お父様、82才なのにお元気そうでなによりです^^ ありがたいことだと思っています♪ >笑顔がステキですね。 はいヽ(^。^)ノ >私の周りでは、よく満州の話をしてくれた祖父が亡くなり、戦争経験者は祖母だけになりました。大切な事は、色々聞かせてもらった話を忘れず、戦争の悲惨を後生に伝えていく事だと思っています。 必要なことだと思います! 溶射屋さん 2010年5月29日12:46 木仙人さん こんにちは! >>それにしても14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていたなんて凄いなぁと思います、本当にスゴイですね 身体を張って日本を守ることが当たり前だったんでしょうね。 >中学生や高校生の若者にそこまで決心させるほど日本の立場は危うかったのですね 通常は赤紙が来てからですから自主的に軍隊に入ったのだと思います。 >いつまでもお元気で語り部になっていただきたいです そう思っています。 溶射屋さん 2010年5月29日12:47 中古パソコン屋さん こんにちは! >>14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていた >すごいことですね。今では軍事主義だ、なんだかんだで悪という見方をされる風潮ですが、その気持ちは純粋だったと思います。 そう言う人たちのお陰で今の日本があるのでしょうね! 溶射屋さん 2010年5月29日12:48 甲州市学習塾のこばやしさん こんにちは! >お父様の戦争体験のお話に驚きました戦艦大和は大きかったのですね 日本の魂の船ですから・・・・・ >>14歳で軍隊に志願、広島県大竹で2ヶ月の新兵訓練 >凄い時代を生き抜いてこられたのですねいつまでもお元気に過ごしくださるとですね(*^ー^*) そう思っています! 溶射屋さん 2010年5月29日12:52 単身赴任のYHさん こんにちは! >わ〜、生きた歴史が語れる方が身近にいらっしゃっるんですね!うらやましいです〜。大和を実際に見たなんて、これもすごいです。 僕もこんなに身近に大和を見た人がいてビックリです。 >鹿児島には知覧という、元特攻基地があります。この記念館に展示している辞世の手紙を読むと、涙が止まりません。みんな20歳前後なんです。こういう人の存在を忘れてはいけないな〜と思います。 僕も4回位行ったことがありますが遺書を見る度に涙が出て聞きます。 命を掛けてくれた人たちがいたからこそ今の平和があることを忘れてはいけないと思います! ポチッ! 溶射屋さん 2010年5月29日12:52 誕生日プレゼント工場さん こんにちは! >戦争は私たちの世代にはもう遠い世界の事のように思えますが、まだ世界では戦争しているところもあるのですよね。二度と繰り返さない為にもこういう方々のお話を聞く機会を大切にしていきたいですね。私の家系で戦争経験者はもういなくなってしまいました。 父にはいつまでも健康長生きして欲しいと思っています。 溶射屋さん 2010年5月29日12:54 みんなニコニコ医療食のよっしーさん こんにちは! >すごいですね!歴史を体感されておられるのですね。 命を掛けてくれたことに感謝・感謝です。 溶射屋さん 2010年5月29日12:54 新潟スィーツ・ナカシマさん こんにちは! >私のおじいちゃんはもうなくなりましたが、子供のころはよく戦争の話しをしてくれました!溶射屋さんのお父様に私のおじいちゃんを重ね合わせてみてしまいます… おじいちゃんっ子だったのであの時聞いた話は私の財産ですね^^ みんなそう言う思いでがあるでしょうね。 溶射屋さん 2010年5月29日12:55 新米とーちゃん こんにちは! >身近にこういう貴重な方がいること、話が直接聞けることはとても素晴らしいことですよね。いつまでもお元気で! そう思っています・・・! 溶射屋さん 2010年5月29日12:56 技術研究所よーこさん こんにちは! >奥さまのお父様は横須賀の海軍学校に行かれたんですね。私の父も良く横須賀の話をしていました。志願兵ですか。同じ年頃の子どもを持つ母親としてご両親はどんな思いで見送ったのか、それが切なかったです。 少年兵ですから親の許可を貰っての志願兵だったと思います。 >でも戻られてとっても良かったです。もう戦争は絶対に起きて欲しくないですね。 そう思います。 >横須賀海軍カレーご存知ですね(*^_^*) 知っていると思います♪ 溶射屋さん 2010年5月29日12:57 昆布巻きのうおぬま屋店長さん こんばんは! >>志願した父も偉いですがそれを認めた両親も >確かに。でも、危なかったですね。 一つ間違えば命は無かったと思います。 >純粋な少年を犠牲にしようとした、軍部が憎い気もします。 そう言う時代だったんでしょうね。 溶射屋さん 2010年5月29日12:58 meganeさん こんにちは! >いつも有難うございます。 こちらこそいつもありがとうございます。 >大和は、子供時代にプラモデルで作りましたが、「山のように大きい」、すごいのだろうな、模型では実感がわかないですね。 呉にある大和ミュージアムに行くと大きい模型がおいてあります。 模型でもその威容が伝わってきます。 溶射屋さん 2010年5月29日12:59 日南海岸黒潮市場フルサワさん こんにちは! >とても血色がよろしいお義父さんですね!^^ 日本酒が大好きなんです(*^-^*) >先人の方の、特に戦時中のお話は伝えていかないといけませんね。^^ そう思います。 溶射屋さん 2010年5月29日13:00 町の気のいい箱屋さん こんにちは! >>それにしても14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていたなんて凄いなぁと思います。 >箱屋の母方の祖父も、渥美の百姓やの倅でしたが海軍に志願していました。孫は、箱屋も含め9人いますが、一人だけが広島の海上自衛隊の士官学校に進みました。偉い従兄だと思います! 昔はそんな時代だったんでしょうね。 平和の時代に生まれて本当に良かったです。 溶射屋さん 2010年5月29日13:01 ティンカーべルさん こんにちは! >あの時代の方々は、早くから大人の心をお持ちだったのですね。 そう言う気持ちになるのが凄いなぁと思います。 >何時までも子供でいられるのは幸せな時代だからこそですね。今の平和を築いて下さった諸先輩に感謝します。 そう思います! 溶射屋さん 2010年5月29日13:02 twinsさん こんにちは! >スミマセン!ネガティブな感想ではないのですが、14歳で軍隊に志願するような国にはしてはいけないと思いました。 全くその通りだと思います。 >当時はそれが大きな価値観だったんですよね。生の声を聞き、伝承していって欲しいと思いました。 そう思います・・・そう言う人たちがいたからこそ今の平和があることを忘れてはいけないですね。 溶射屋さん 2010年5月29日13:03 かいりさん こんにちは! >>戦艦大和を肉眼で見たことがある人がこんなにも身近にいたというだけで感動してしまった溶射屋でありました(o^ ^o) / >これって凄いですね。かなり大きかったのですね♪ まるで山のようだったようです。 >これから先 戦争がおこってはいけませんね♪ そう思います。 溶射屋さん 2010年5月29日13:07 shidaさん こんにちは! >>志願した父も偉いですがそれを認めた両親も凄いですよね・・・・本当に凄いですねー そう言う時代だったんでしょうね・・。 >色々なことを見て来た方ですからお話も聞いていて飽きない事と思います。羨ましいです。 これからは戦争が無い時代にして行かなければならないです。
たくみの里のふくさん 2010年3月16日04:36 おはようございます。 今日からお忙しくなられるのですね。 お仕事に集中していただくのが一番です。頑張ってください。 82歳のお父様のお話は、驚きですね。14歳の時の志願ですもの、心構えと情熱が違いますね。世の中のムードも全く別物ですから、ご両親もお喜びになったんでしょう、きっと。 しかし、戦時賠償艦として中国に引き渡された艦があったとは知りませんでした。
京丹後のおやじですさん 2010年3月16日06:36 おはようございます >父(妻のお父さん)・・1928年(昭和3年)生まれ。 82歳 お元気そうですね。(^^) >1942年14歳で軍隊に志願、広島県大竹で2ヶ月の新兵訓練 その後、横須賀久里浜にて海軍通信学校に入学し1年とちょっとで2代目「対馬」に乗船し17歳で終戦を迎える! 昔の人の活躍を見ていると成人は果たして20歳なのか? 何歳が成人なのか疑問に思います。 戦争を企てた人物図鑑を今日掲載しました。
パンツ屋さん 2010年3月16日07:23 溶射屋さん、おはよございます。 いつもありがとうございます! すごいですね、帝国海軍ですね。 私にとっては通信士、船乗りの先輩です。 当時は、お国のために命をささげること、当たり前だったのでしょうね。 凄いことです。
理系Gさん 2010年3月16日07:43 溶射屋さんおはようございます。 お父様、82才なのにお元気そうでなによりです^^ 笑顔がステキですね。 私の周りでは、よく満州の話をしてくれた祖父が亡くなり、戦争経験者は祖母だけになりました。 大切な事は、色々聞かせてもらった話を忘れず、戦争の悲惨を後生に伝えていく事だと思っています。
木仙人さん 2010年3月16日09:00 おはようございます 溶射屋さん >それにしても14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていたなんて凄いなぁと思います 本当にスゴイですね 中学生や高校生の若者にそこまで決心させるほど日本の立場は危うかったのですね いつまでもお元気で語り部になっていただきたいです
中古パソコン屋さん 2010年3月16日09:53 こんにちは。 >14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、>日本の為に命をささげていた すごいことですね。 今では軍事主義だ、なんだかんだで悪という見方をされる風潮ですが、その気持ちは純粋だったと思います。
甲州市学習塾のこばやしさん 2010年3月16日10:52 溶射屋様、こんにちは お父様の戦争体験のお話に驚きました 戦艦大和は大きかったのですね >14歳で軍隊に志願、広島県大竹で2ヶ月の新兵訓練 凄い時代を生き抜いてこられたのですね いつまでもお元気に過ごしくださるとですね(*^ー^*) お仕事がんばってください♪
単身赴任のYHさん 2010年3月16日12:24 こんにちは。 わ〜、生きた歴史が語れる方が身近にいらっしゃっるんですね! うらやましいです〜。 大和を実際に見たなんて、これもすごいです。 鹿児島には知覧という、元特攻基地があります。この記念館に展示している辞世の手紙を読むと、涙が止まりません。みんな20歳前後なんです。 こういう人の存在を忘れてはいけないな〜と思います。 ポチッ!
shidaさん 2010年3月16日12:35 こんにちは <志願した父も偉いですがそれを認めた両親も凄いですよね ・・・・本当に凄いですねー 色々なことを見て来た方ですからお話も聞いていて飽きない事と思います。 羨ましいです。
誕生日プレゼント工場さん 2010年3月16日15:39 こんにちは。 戦争は私たちの世代にはもう遠い世界の事のように思えますが、 まだ世界では戦争しているところもあるのですよね。 二度と繰り返さない為にもこういう方々のお話を聞く機会を大切にしていきたいですね。 私の家系で戦争経験者はもういなくなってしまいました。
新潟スイーツ・ナカシマさん 2010年3月16日18:02 溶射屋さん、こんばんは! 私のおじいちゃんはもうなくなりましたが、子供のころはよく戦争の話しをしてくれました! 溶射屋さんのお父様に私のおじいちゃんを重ね合わせてみてしまいます… おじいちゃんっ子だったのであの時聞いた話は私の財産ですね^^
技術研究所よーこさん 2010年3月16日20:20 溶射屋様 こんばんは! 奥さまのお父様は横須賀の海軍学校に行かれたんですね。私の父も良く横須賀の話をしていました。 志願兵ですか。同じ年頃の子どもを持つ母親としてご両親はどんな思いで見送ったのか、それが切なかったです。 でも戻られてとっても良かったです。 もう戦争は絶対に起きて欲しくないですね。 横須賀海軍カレーご存知ですね(*^_^*)
昆布巻きのうおぬま屋店長さん 2010年3月16日21:48 こんばんは。 >志願した父も偉いですがそれを認めた両親も 確かに。 でも、危なかったですね。 純粋な少年を犠牲にしようとした、軍部が憎い気もします。
町の 気のいい箱屋さんさん 2010年3月16日23:13 溶射屋さん お世話様です。箱屋です。 >それにしても14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていたなんて凄いなぁと思います。 箱屋の母方の祖父も、渥美の百姓やの倅でしたが海軍に志願していました。 孫は、箱屋も含め9人いますが、一人だけが広島の海上自衛隊の士官学校に進みました。 偉い従兄だと思います!
ティンカーベルさん 2010年3月16日23:19 あの時代の方々は、早くから大人の心をお持ちだったのですね。 何時までも子供でいられるのは幸せな時代だからこそですね。 今の平和を築いて下さった諸先輩に感謝します。
TWINSさん 2010年3月17日00:44 こんばんは〜 スミマセン! ネガティブな感想ではないのですが、 14歳で軍隊に志願するような国には してはいけないと思いました。 当時はそれが大きな価値観だったんですよね。 生の声を聞き、伝承していって欲しいと思いました。
かいりさん 2010年3月17日00:59 溶射屋さん こんばんは >戦艦大和を肉眼で見たことがある人がこんなにも >身近にいたというだけで感動してしまった >溶射屋でありました(o^ ^o) / これって凄いですね。かなり大きかったのですね♪ これから先 戦争がおこってはいけませんね♪
溶射屋さん 2010年5月29日12:38 たくみの里のふくさん こんにちは! >82歳のお父様のお話は、驚きですね。14歳の時の志願ですもの、心構えと情熱が違いますね。世の中のムードも全く別物ですから、ご両親もお喜びになったんでしょう、きっと。 そう言う時代があったと言うことが今では信じられないです。 >しかし、戦時賠償艦として中国に引き渡された艦があったとは知りませんでした。 父からも聞いて調べてもそうでした。
溶射屋さん 2010年5月29日12:40 京丹後のおやじさん こんにちは! >>父(妻のお父さん)・・1928年(昭和3年)生まれ。 82歳 >お元気そうですね。(^^) 元気なのが嬉しいです♪ >昔の人の活躍を見ていると成人は果たして20歳なのか?何歳が成人なのか疑問に思います。 命を掛けて日本を守ってくれたらこそ今の平和があると思います。
溶射屋さん 2010年5月29日12:42 パンツ屋さん こんにちは! >いつもありがとうございます! こちらこそいつもありがとうございます。 >すごいですね、帝国海軍ですね。私にとっては通信士、船乗りの先輩です。 そうでしたね♪ >当時は、お国のために命をささげること、当たり前だったのでしょうね。凄いことです。 そのお陰で今の平和があるのだと思います。
溶射屋さん 2010年5月29日12:43 理系Gさん こんにちは! >お父様、82才なのにお元気そうでなによりです^^ ありがたいことだと思っています♪ >笑顔がステキですね。 はいヽ(^。^)ノ >私の周りでは、よく満州の話をしてくれた祖父が亡くなり、戦争経験者は祖母だけになりました。大切な事は、色々聞かせてもらった話を忘れず、戦争の悲惨を後生に伝えていく事だと思っています。 必要なことだと思います!
溶射屋さん 2010年5月29日12:46 木仙人さん こんにちは! >>それにしても14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていたなんて凄いなぁと思います、本当にスゴイですね 身体を張って日本を守ることが当たり前だったんでしょうね。 >中学生や高校生の若者にそこまで決心させるほど日本の立場は危うかったのですね 通常は赤紙が来てからですから自主的に軍隊に入ったのだと思います。 >いつまでもお元気で語り部になっていただきたいです そう思っています。
溶射屋さん 2010年5月29日12:47 中古パソコン屋さん こんにちは! >>14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていた >すごいことですね。今では軍事主義だ、なんだかんだで悪という見方をされる風潮ですが、その気持ちは純粋だったと思います。 そう言う人たちのお陰で今の日本があるのでしょうね!
溶射屋さん 2010年5月29日12:48 甲州市学習塾のこばやしさん こんにちは! >お父様の戦争体験のお話に驚きました戦艦大和は大きかったのですね 日本の魂の船ですから・・・・・ >>14歳で軍隊に志願、広島県大竹で2ヶ月の新兵訓練 >凄い時代を生き抜いてこられたのですねいつまでもお元気に過ごしくださるとですね(*^ー^*) そう思っています!
溶射屋さん 2010年5月29日12:52 単身赴任のYHさん こんにちは! >わ〜、生きた歴史が語れる方が身近にいらっしゃっるんですね!うらやましいです〜。大和を実際に見たなんて、これもすごいです。 僕もこんなに身近に大和を見た人がいてビックリです。 >鹿児島には知覧という、元特攻基地があります。この記念館に展示している辞世の手紙を読むと、涙が止まりません。みんな20歳前後なんです。こういう人の存在を忘れてはいけないな〜と思います。 僕も4回位行ったことがありますが遺書を見る度に涙が出て聞きます。 命を掛けてくれた人たちがいたからこそ今の平和があることを忘れてはいけないと思います! ポチッ!
溶射屋さん 2010年5月29日12:52 誕生日プレゼント工場さん こんにちは! >戦争は私たちの世代にはもう遠い世界の事のように思えますが、まだ世界では戦争しているところもあるのですよね。二度と繰り返さない為にもこういう方々のお話を聞く機会を大切にしていきたいですね。私の家系で戦争経験者はもういなくなってしまいました。 父にはいつまでも健康長生きして欲しいと思っています。
溶射屋さん 2010年5月29日12:54 新潟スィーツ・ナカシマさん こんにちは! >私のおじいちゃんはもうなくなりましたが、子供のころはよく戦争の話しをしてくれました!溶射屋さんのお父様に私のおじいちゃんを重ね合わせてみてしまいます… おじいちゃんっ子だったのであの時聞いた話は私の財産ですね^^ みんなそう言う思いでがあるでしょうね。
溶射屋さん 2010年5月29日12:55 新米とーちゃん こんにちは! >身近にこういう貴重な方がいること、話が直接聞けることはとても素晴らしいことですよね。いつまでもお元気で! そう思っています・・・!
溶射屋さん 2010年5月29日12:56 技術研究所よーこさん こんにちは! >奥さまのお父様は横須賀の海軍学校に行かれたんですね。私の父も良く横須賀の話をしていました。志願兵ですか。同じ年頃の子どもを持つ母親としてご両親はどんな思いで見送ったのか、それが切なかったです。 少年兵ですから親の許可を貰っての志願兵だったと思います。 >でも戻られてとっても良かったです。もう戦争は絶対に起きて欲しくないですね。 そう思います。 >横須賀海軍カレーご存知ですね(*^_^*) 知っていると思います♪
溶射屋さん 2010年5月29日12:57 昆布巻きのうおぬま屋店長さん こんばんは! >>志願した父も偉いですがそれを認めた両親も >確かに。でも、危なかったですね。 一つ間違えば命は無かったと思います。 >純粋な少年を犠牲にしようとした、軍部が憎い気もします。 そう言う時代だったんでしょうね。
溶射屋さん 2010年5月29日12:58 meganeさん こんにちは! >いつも有難うございます。 こちらこそいつもありがとうございます。 >大和は、子供時代にプラモデルで作りましたが、「山のように大きい」、すごいのだろうな、模型では実感がわかないですね。 呉にある大和ミュージアムに行くと大きい模型がおいてあります。 模型でもその威容が伝わってきます。
溶射屋さん 2010年5月29日12:59 日南海岸黒潮市場フルサワさん こんにちは! >とても血色がよろしいお義父さんですね!^^ 日本酒が大好きなんです(*^-^*) >先人の方の、特に戦時中のお話は伝えていかないといけませんね。^^ そう思います。
溶射屋さん 2010年5月29日13:00 町の気のいい箱屋さん こんにちは! >>それにしても14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていたなんて凄いなぁと思います。 >箱屋の母方の祖父も、渥美の百姓やの倅でしたが海軍に志願していました。孫は、箱屋も含め9人いますが、一人だけが広島の海上自衛隊の士官学校に進みました。偉い従兄だと思います! 昔はそんな時代だったんでしょうね。 平和の時代に生まれて本当に良かったです。
溶射屋さん 2010年5月29日13:01 ティンカーべルさん こんにちは! >あの時代の方々は、早くから大人の心をお持ちだったのですね。 そう言う気持ちになるのが凄いなぁと思います。 >何時までも子供でいられるのは幸せな時代だからこそですね。今の平和を築いて下さった諸先輩に感謝します。 そう思います!
溶射屋さん 2010年5月29日13:02 twinsさん こんにちは! >スミマセン!ネガティブな感想ではないのですが、14歳で軍隊に志願するような国にはしてはいけないと思いました。 全くその通りだと思います。 >当時はそれが大きな価値観だったんですよね。生の声を聞き、伝承していって欲しいと思いました。 そう思います・・・そう言う人たちがいたからこそ今の平和があることを忘れてはいけないですね。
溶射屋さん 2010年5月29日13:03 かいりさん こんにちは! >>戦艦大和を肉眼で見たことがある人がこんなにも身近にいたというだけで感動してしまった溶射屋でありました(o^ ^o) / >これって凄いですね。かなり大きかったのですね♪ まるで山のようだったようです。 >これから先 戦争がおこってはいけませんね♪ そう思います。
溶射屋さん 2010年5月29日13:07 shidaさん こんにちは! >>志願した父も偉いですがそれを認めた両親も凄いですよね・・・・本当に凄いですねー そう言う時代だったんでしょうね・・。 >色々なことを見て来た方ですからお話も聞いていて飽きない事と思います。羨ましいです。 これからは戦争が無い時代にして行かなければならないです。
コメント(44)
おはようございます。
今日からお忙しくなられるのですね。
お仕事に集中していただくのが一番です。頑張ってください。
82歳のお父様のお話は、驚きですね。14歳の時の志願ですもの、心構えと情熱が違いますね。世の中のムードも全く別物ですから、ご両親もお喜びになったんでしょう、きっと。
しかし、戦時賠償艦として中国に引き渡された艦があったとは知りませんでした。
おはようございます
>父(妻のお父さん)・・1928年(昭和3年)生まれ。 82歳
お元気そうですね。(^^)
>1942年14歳で軍隊に志願、広島県大竹で2ヶ月の新兵訓練
その後、横須賀久里浜にて海軍通信学校に入学し1年とちょっとで2代目「対馬」に乗船し17歳で終戦を迎える!
昔の人の活躍を見ていると成人は果たして20歳なのか?
何歳が成人なのか疑問に思います。
戦争を企てた人物図鑑を今日掲載しました。
溶射屋さん、おはよございます。
いつもありがとうございます!
すごいですね、帝国海軍ですね。
私にとっては通信士、船乗りの先輩です。
当時は、お国のために命をささげること、当たり前だったのでしょうね。
凄いことです。
身近に語りべがいるなんてすごいですねー。
一昨年、知覧にいきました。
少しでも戦争に関することを後世に伝えていけたらと思います。
溶射屋さんおはようございます。
お父様、82才なのにお元気そうでなによりです^^
笑顔がステキですね。
私の周りでは、よく満州の話をしてくれた祖父が亡くなり、戦争経験者は祖母だけになりました。
大切な事は、色々聞かせてもらった話を忘れず、戦争の悲惨を後生に伝えていく事だと思っています。
おはようございます 溶射屋さん
>それにしても14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていたなんて凄いなぁと思います
本当にスゴイですね
中学生や高校生の若者にそこまで決心させるほど日本の立場は危うかったのですね
いつまでもお元気で語り部になっていただきたいです
こんにちは。
>14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、>日本の為に命をささげていた
すごいことですね。
今では軍事主義だ、なんだかんだで悪という見方をされる風潮ですが、その気持ちは純粋だったと思います。
溶射屋様、こんにちは
お父様の戦争体験のお話に驚きました
戦艦大和は大きかったのですね
>14歳で軍隊に志願、広島県大竹で2ヶ月の新兵訓練
凄い時代を生き抜いてこられたのですね
いつまでもお元気に過ごしくださるとですね(*^ー^*)
お仕事がんばってください♪
こんにちは。
わ〜、生きた歴史が語れる方が身近にいらっしゃっるんですね!
うらやましいです〜。
大和を実際に見たなんて、これもすごいです。
鹿児島には知覧という、元特攻基地があります。この記念館に展示している辞世の手紙を読むと、涙が止まりません。みんな20歳前後なんです。
こういう人の存在を忘れてはいけないな〜と思います。
ポチッ!
こんにちは
<志願した父も偉いですがそれを認めた両親も凄いですよね
・・・・本当に凄いですねー
色々なことを見て来た方ですからお話も聞いていて飽きない事と思います。
羨ましいです。
こんにちは。
戦争は私たちの世代にはもう遠い世界の事のように思えますが、
まだ世界では戦争しているところもあるのですよね。
二度と繰り返さない為にもこういう方々のお話を聞く機会を大切にしていきたいですね。
私の家系で戦争経験者はもういなくなってしまいました。
こんにちは!
すごいですね!
歴史を体感されておられるのですね。
溶射屋さん、こんばんは!
私のおじいちゃんはもうなくなりましたが、子供のころはよく戦争の話しをしてくれました!
溶射屋さんのお父様に私のおじいちゃんを重ね合わせてみてしまいます…
おじいちゃんっ子だったのであの時聞いた話は私の財産ですね^^
こんばんは!
身近にこういう貴重な方がいること、
話が直接聞けることはとても素晴らしいことですよね。
いつまでもお元気で!
溶射屋様
こんばんは!
奥さまのお父様は横須賀の海軍学校に行かれたんですね。私の父も良く横須賀の話をしていました。
志願兵ですか。同じ年頃の子どもを持つ母親としてご両親はどんな思いで見送ったのか、それが切なかったです。
でも戻られてとっても良かったです。
もう戦争は絶対に起きて欲しくないですね。
横須賀海軍カレーご存知ですね(*^_^*)
こんばんは。
>志願した父も偉いですがそれを認めた両親も
確かに。
でも、危なかったですね。
純粋な少年を犠牲にしようとした、軍部が憎い気もします。
こんばんは、いつも有難うございます。大和は、子供時代にプラモデルで作りましたが、「山のように大きい」、すごいのだろうな、模型では実感がわかないですね。
溶射屋さん、こんばんは!
とても血色がよろしいお義父さんですね!^^
先人の方の、特に戦時中のお話は伝えていかないといけませんね。^^
溶射屋さん
お世話様です。箱屋です。
>それにしても14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていたなんて凄いなぁと思います。
箱屋の母方の祖父も、渥美の百姓やの倅でしたが海軍に志願していました。
孫は、箱屋も含め9人いますが、一人だけが広島の海上自衛隊の士官学校に進みました。
偉い従兄だと思います!
あの時代の方々は、早くから大人の心をお持ちだったのですね。
何時までも子供でいられるのは幸せな時代だからこそですね。
今の平和を築いて下さった諸先輩に感謝します。
こんばんは〜
スミマセン!
ネガティブな感想ではないのですが、
14歳で軍隊に志願するような国には
してはいけないと思いました。
当時はそれが大きな価値観だったんですよね。
生の声を聞き、伝承していって欲しいと思いました。
溶射屋さん こんばんは
>戦艦大和を肉眼で見たことがある人がこんなにも
>身近にいたというだけで感動してしまった
>溶射屋でありました(o^ ^o) /
これって凄いですね。かなり大きかったのですね♪
これから先 戦争がおこってはいけませんね♪
たくみの里のふくさん
こんにちは!
>82歳のお父様のお話は、驚きですね。14歳の時の志願ですもの、心構えと情熱が違いますね。世の中のムードも全く別物ですから、ご両親もお喜びになったんでしょう、きっと。
そう言う時代があったと言うことが今では信じられないです。
>しかし、戦時賠償艦として中国に引き渡された艦があったとは知りませんでした。
父からも聞いて調べてもそうでした。
京丹後のおやじさん
こんにちは!
>>父(妻のお父さん)・・1928年(昭和3年)生まれ。 82歳
>お元気そうですね。(^^)
元気なのが嬉しいです♪
>昔の人の活躍を見ていると成人は果たして20歳なのか?何歳が成人なのか疑問に思います。
命を掛けて日本を守ってくれたらこそ今の平和があると思います。
パンツ屋さん
こんにちは!
>いつもありがとうございます!
こちらこそいつもありがとうございます。
>すごいですね、帝国海軍ですね。私にとっては通信士、船乗りの先輩です。
そうでしたね♪
>当時は、お国のために命をささげること、当たり前だったのでしょうね。凄いことです。
そのお陰で今の平和があるのだと思います。
ダイキョーさん
こんにちは!
>一昨年、知覧にいきました。少しでも戦争に関することを後世に伝えていけたらと思います。
大事な事ですね!
理系Gさん
こんにちは!
>お父様、82才なのにお元気そうでなによりです^^
ありがたいことだと思っています♪
>笑顔がステキですね。
はいヽ(^。^)ノ
>私の周りでは、よく満州の話をしてくれた祖父が亡くなり、戦争経験者は祖母だけになりました。大切な事は、色々聞かせてもらった話を忘れず、戦争の悲惨を後生に伝えていく事だと思っています。
必要なことだと思います!
木仙人さん
こんにちは!
>>それにしても14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていたなんて凄いなぁと思います、本当にスゴイですね
身体を張って日本を守ることが当たり前だったんでしょうね。
>中学生や高校生の若者にそこまで決心させるほど日本の立場は危うかったのですね
通常は赤紙が来てからですから自主的に軍隊に入ったのだと思います。
>いつまでもお元気で語り部になっていただきたいです
そう思っています。
中古パソコン屋さん
こんにちは!
>>14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていた
>すごいことですね。今では軍事主義だ、なんだかんだで悪という見方をされる風潮ですが、その気持ちは純粋だったと思います。
そう言う人たちのお陰で今の日本があるのでしょうね!
甲州市学習塾のこばやしさん
こんにちは!
>お父様の戦争体験のお話に驚きました戦艦大和は大きかったのですね
日本の魂の船ですから・・・・・
>>14歳で軍隊に志願、広島県大竹で2ヶ月の新兵訓練
>凄い時代を生き抜いてこられたのですねいつまでもお元気に過ごしくださるとですね(*^ー^*)
そう思っています!
単身赴任のYHさん
こんにちは!
>わ〜、生きた歴史が語れる方が身近にいらっしゃっるんですね!うらやましいです〜。大和を実際に見たなんて、これもすごいです。
僕もこんなに身近に大和を見た人がいてビックリです。
>鹿児島には知覧という、元特攻基地があります。この記念館に展示している辞世の手紙を読むと、涙が止まりません。みんな20歳前後なんです。こういう人の存在を忘れてはいけないな〜と思います。
僕も4回位行ったことがありますが遺書を見る度に涙が出て聞きます。
命を掛けてくれた人たちがいたからこそ今の平和があることを忘れてはいけないと思います!
ポチッ!
誕生日プレゼント工場さん
こんにちは!
>戦争は私たちの世代にはもう遠い世界の事のように思えますが、まだ世界では戦争しているところもあるのですよね。二度と繰り返さない為にもこういう方々のお話を聞く機会を大切にしていきたいですね。私の家系で戦争経験者はもういなくなってしまいました。
父にはいつまでも健康長生きして欲しいと思っています。
みんなニコニコ医療食のよっしーさん
こんにちは!
>すごいですね!歴史を体感されておられるのですね。
命を掛けてくれたことに感謝・感謝です。
新潟スィーツ・ナカシマさん
こんにちは!
>私のおじいちゃんはもうなくなりましたが、子供のころはよく戦争の話しをしてくれました!溶射屋さんのお父様に私のおじいちゃんを重ね合わせてみてしまいます…
おじいちゃんっ子だったのであの時聞いた話は私の財産ですね^^
みんなそう言う思いでがあるでしょうね。
新米とーちゃん
こんにちは!
>身近にこういう貴重な方がいること、話が直接聞けることはとても素晴らしいことですよね。いつまでもお元気で!
そう思っています・・・!
技術研究所よーこさん
こんにちは!
>奥さまのお父様は横須賀の海軍学校に行かれたんですね。私の父も良く横須賀の話をしていました。志願兵ですか。同じ年頃の子どもを持つ母親としてご両親はどんな思いで見送ったのか、それが切なかったです。
少年兵ですから親の許可を貰っての志願兵だったと思います。
>でも戻られてとっても良かったです。もう戦争は絶対に起きて欲しくないですね。
そう思います。
>横須賀海軍カレーご存知ですね(*^_^*)
知っていると思います♪
昆布巻きのうおぬま屋店長さん
こんばんは!
>>志願した父も偉いですがそれを認めた両親も
>確かに。でも、危なかったですね。
一つ間違えば命は無かったと思います。
>純粋な少年を犠牲にしようとした、軍部が憎い気もします。
そう言う時代だったんでしょうね。
meganeさん
こんにちは!
>いつも有難うございます。
こちらこそいつもありがとうございます。
>大和は、子供時代にプラモデルで作りましたが、「山のように大きい」、すごいのだろうな、模型では実感がわかないですね。
呉にある大和ミュージアムに行くと大きい模型がおいてあります。
模型でもその威容が伝わってきます。
日南海岸黒潮市場フルサワさん
こんにちは!
>とても血色がよろしいお義父さんですね!^^
日本酒が大好きなんです(*^-^*)
>先人の方の、特に戦時中のお話は伝えていかないといけませんね。^^
そう思います。
町の気のいい箱屋さん
こんにちは!
>>それにしても14歳で軍隊に志願して16歳で軍艦に乗船し、日本の為に命をささげていたなんて凄いなぁと思います。
>箱屋の母方の祖父も、渥美の百姓やの倅でしたが海軍に志願していました。孫は、箱屋も含め9人いますが、一人だけが広島の海上自衛隊の士官学校に進みました。偉い従兄だと思います!
昔はそんな時代だったんでしょうね。
平和の時代に生まれて本当に良かったです。
ティンカーべルさん
こんにちは!
>あの時代の方々は、早くから大人の心をお持ちだったのですね。
そう言う気持ちになるのが凄いなぁと思います。
>何時までも子供でいられるのは幸せな時代だからこそですね。今の平和を築いて下さった諸先輩に感謝します。
そう思います!
twinsさん
こんにちは!
>スミマセン!ネガティブな感想ではないのですが、14歳で軍隊に志願するような国にはしてはいけないと思いました。
全くその通りだと思います。
>当時はそれが大きな価値観だったんですよね。生の声を聞き、伝承していって欲しいと思いました。
そう思います・・・そう言う人たちがいたからこそ今の平和があることを忘れてはいけないですね。
かいりさん
こんにちは!
>>戦艦大和を肉眼で見たことがある人がこんなにも身近にいたというだけで感動してしまった溶射屋でありました(o^ ^o) /
>これって凄いですね。かなり大きかったのですね♪
まるで山のようだったようです。
>これから先 戦争がおこってはいけませんね♪
そう思います。
shidaさん
こんにちは!
>>志願した父も偉いですがそれを認めた両親も凄いですよね・・・・本当に凄いですねー
そう言う時代だったんでしょうね・・。
>色々なことを見て来た方ですからお話も聞いていて飽きない事と思います。羨ましいです。
これからは戦争が無い時代にして行かなければならないです。