昨日遠路はるばる宮城県からお客様が来社して頂きました。 午前9時に来社、そのまま弊社の紅○課長と担当営業の○谷さんとの打合せ後の12時過ぎに会社から車で5分以内の場所にある「とろろ汁の丁子屋さん」に昼食に行きました!(∩.∩) この丁子屋のある「丸子(まりこ)」はその昔は東海道53次の宿場町で「鞠子」と言う漢字だったんですよ!! 丁子屋さんのリニュアールされた新パンフレットによると、 東海道53次の21番目の宿場の「丸子宿」。1189年(文治5年)駿府の武士が源頼朝よりこの地を与えられ設置された宿場町です。 1596年(慶長元年)この「丸子宿」に丁字屋平吉が宿場の茶屋として丁子屋を創業しました。自然薯が採れる時期に旅人にとろろ汁をふるまったのが丁字屋のとろろ汁の始まり。 関ヶ原の戦いの翌年にあたる1601年、徳川家康が東海道伝馬制を制定すると、丸子は宿場町として急速に栄え、飛脚や参勤交代、旅人の往来が盛になります。 難所である宇津谷峠を控え、とろろ汁で精を付ける旅人たちで茶屋は賑わいました。 後世に名を残す著名が文化人にたちも、丸子でとろろ汁を味わい、その味を作品の中に残しています。 守り続ける伝統と変わらぬ素朴な味。丸子のとろろ汁は400年の時を経て、今に受け継がれています。 松尾芭蕉が「梅わかな 丸子の宿の とろろ汁」と詠んだ場所!! 十返舎一句が1802年頃に刊行された「東海道中膝栗毛」の丸子のシーンで、とろろ汁を次のように描いています。 「けんかする 夫婦は口を とがらせて とんびとろろに すべりこそすれ」 宿場の夫婦が、喧嘩しながら作ったとろろ汁を庭にぶちまけてしまい、とろろの師匠であるとんびも滑ってしまったというシーン。 食事にありつけず災難にあった弥次さん喜多さんが残した狂歌です。 そして安藤広重が1834年に「東海道53次」を完成。約100年前の松尾芭蕉の句や、約30年前の十返舎一句の話を念頭に置いていたとみられ、店の軒先には梅の花が咲き、弥次・喜多を思わせる旅人二人が、存分にとろろ汁を味わう姿が描かれています。 丁子屋さんは創業者「丁子屋平吉さん」の名前だったんですね! 今これを書いていて初めて知りました(∩.∩) 丁子屋 安藤広重「東海道53次」 とろろ汁 ネギ ネギをどばっとかけます そしてご飯の上に・・(*^-^*) 揚げとろ・・・これも熱々で食べるとムッチャおいしい(^―^) 味噌汁・・・静岡は白味噌が主流 お新香と小鉢 右から森○さん・大○さん・石○さん・阿○さん・溶射屋・紅○さん この写真は丁子屋14代目の「丁子屋ブログ・・新米とうちゃん」に撮影してもらいました 食事の後の一服中 丸子宿「丁子屋看板」 丁子屋さんの前にある看板 歴史の道 東海道のご案内 東海道の看板 丁子屋さんから車で5分の秘密の場所その2です(*^-^*) ・・・今日は誠に残念ながら富士山はその頭がかすかに見える程度でしたが静岡市内を一望に見渡せる場所で景色を堪能していただきました(∩.∩) 「石○さん・阿○さん・森○さん・・・遠い所をお越し頂きましてありがとうございます」(∩.∩) これからも宜しくお願いします。 業務連絡・・・・「紅○さん・大○さんもご苦労様でした」(^―^)