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2009年6月23日

2009_06/23

維新の歴史を変えた街

明治維新の際に江戸で会見した西郷隆盛と勝海舟の話しあいによって江戸が無血開城したことは誰でも知っている有名な話し。

でもその前に勝の命を帯びた山岡鉄舟が西郷隆盛と会見した場所がここ静岡市だと言うことはまあまり知られていないのでは?

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西郷隆盛・山岡鉄舟会見の史跡・・静岡駅から徒歩10分程度の場所・・・ペガサート(と言う名前の建物)の前にあります

 
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慶応4年(1868年)2月12日、慶喜が江戸城を出て上野・寛永寺で謹慎した直後に追討軍が江戸に到着した。

官軍の江戸総攻撃は目前に迫り、一部では慶喜の処刑と大江戸大決戦がささやかれた。

そんな重苦しい空気のなかで、勝らは大きな賭けに出た。

勝は山岡鉄太郎(鉄舟)を使者として官軍参謀の西郷隆盛のいる静岡市に派遣し、江戸城無血開城と慶喜の助命嘆願の予備交渉に当たらせた。

山岡は江戸から静岡まで官軍兵士の居並ぶなか、「朝敵徳川慶喜の家来、山岡鉄太郎、大総督府に参る」とさけびつつ、早馬を走らせた。

東海道を疾走する山岡の早馬の図は有名な錦絵となっている。

山岡は西郷の宿舎だった伝馬町の松崎屋源丘衛方を訪ね、3月9日、西郷・山岡の会見が実現した。

両者は一面識もなかったが、互いに胸襟を開いて折衝した。

その結果を、西郷から駿府城代屋敷を御座所としして静岡に滞在していた熾仁親王に伺いを立てると、宮から七ヶ条の内輪書を得た。

最終的には14日、江戸での西郷と勝の会見で決着するのだが、実質的な交渉は静岡会見で行われ、江戸の会見はセレモニーにすぎない。

歴史の転換期で静岡は重要な舞台となっていたのです(文責・・黒澤 脩)

 
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西郷と山岡が会見した場所(ピンク色)

 
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赤い三角は石碑がある場所・・・会見したのは3軒右側の家

 

静岡市内に住んでいる人でもこのような歴史的に有名な場所が静岡市内にあることを知らない人が多いかも知れません

K先生の事務所から意外と近いんですよ(∩.∩)

 


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会見場所は現在ペガサートの建物となっている。

 
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