岬龍一郎先生をお呼びしての静岡岬塾が開催されました。
今回は初めての参加者が多かったので基本的な「武士道」の話しが中心だったが話しを始めてから1時間45分が「あっと言う間に」感じるくらい熱がこもった迫力ある話だった。
新渡戸稲造氏が英語で出版して世界が「日本人は凄い」と認めさせた「武士道」
岬先生は「この堕落してしまた日本を命ある限り少しでも変えて行きたい」という志を持って殆ど奉仕に近い状態で日本全国を回っている方。
今回参加した方は魂を揺さぶられたのではないでしょうか?
2ヶ月ごと奇数月に開催していますので次回の7月も是非ご参加ください
岬龍一郎先生
1946年、長崎県生まれの東京育ち。作家・評論家。早稲田大学を経て、情報会社、出版社の役員を歴任。著述業のかたわら人材育成のための「人間経営塾」を主宰。国家公務員、地方公務員幹部研修、大手企業研修などの講師を務め、「上に立つ者の人間学」を説いている。著書には、『いま、なぜ武士道か』『内村鑑三の「代表的日本人」を読む』(以上、致知出版社)、『上に立たせてはいけない人の人間学』『新・武士道』(以上、講談社)、『新渡戸稲造 美しき日本人』『中村天風 銀の言葉』『お金持ちより時間持ち』(以上、KKベストセラーズ)など多数。
以下の文章はCUA/CTCグループ総合雑誌HPよりお借りいたしました
● 武士道は「誠」。命懸けで実行する精神
私は46歳のときに会社を辞め、新渡戸稲造ならびに日本の思想を研究しはじめました。ちょうどその頃、私はがんを患い生きるか死ぬかの瀬戸際で、人生をきちんと考えたことがあったか?と気付き、勉強し直せば何か分かるかもしれないという思いもありました。
新渡戸稲造の「武士道」は、日本男子の心意気・伝統的精神とは
何かを世界に向けて知らしめるため、1899年に英語で(原題:BUSHIDO,THE SOUL OF JAPAN)書かれました。新渡戸が諸外国で「お前は素晴らしい」「日本人はすごい」と評価を得たとき、自分を作りたもうた精神構造は何かと考えて、武士道を唯一体系化して思想書として書かれました。
日本は、ペリー来航の1853年から明治維新までわずか15年の間に大逆転し、日清・日露の戦争でも勝利を収めました。福沢諭吉は、日本が植民地にもならず列強と並ぶに至ったのは、サムライの痩せ我慢=気概があったからだといっています。つまり、逃げない、諦めないという気高い生き方です。武士道では失敗したら切腹、生きるか死ぬかです。死を感じると残り少ない時間を大切に思う、何かをしなければならないと気付く、その何かのために今、力を注げということです。お札の肖像になっている夏目漱石、新渡戸稲造、福沢諭吉は、皆、サムライ精神です。サムライ精神とは、命を懸けて戦うということです。そして、武士道を一言でいうと「誠」です。これは、いったことをなす、一旦YESといったら命懸けで実行する精神、これが基本です。だから、武士道には証文がない。世界には通じませんが、世界がこれを知ったら驚きますよ。
● 基本は、仁・義・礼・智・信の五つ
武士道は、神道・仏教・儒教の三つで作り上げられ、サムライたちの徳目を決めたのは儒教で、基本的精神は仁・義・礼・智・信です。
仁は、相手を慮る心、優しさです。これはキリスト教の愛、仏教の慈悲です。儒教では仁を「王者の徳」といい、すべての徳の上にあり、上に立つ人が持たなければならない徳です。王、為政者、身分の高い人だけでなく、一人でも部下や面倒をみる人がいれば上に立つ人です。
武士道では、義を守れと厳しくいいます。日本人は義という言葉が好きですね。義は正義、正しい行いです。上杉謙信が武田信玄に塩を贈った話は美談ですが、これは正々堂々と戦うフェアプレーの精神です。不正なことを唾棄し、卑劣なことは捨て、卑怯なことはするなと。卑怯こそ男として恥ずかしいことだと。これがあるから義を守るんです。これを企業家の皆さんにもお考えいただきたい。腐った卵を売ったり、欠陥住宅を作ってほったらかしたり、儲かればいいとやってきたがそれではだめだ、これからは哲学がいるんだといっていますが、いつだって哲学はいります。いつも正義が強くなければいけないんです。
「礼にはじまり礼に終わる」というように、仁と義の精神をかたちに表すのが礼で、これは秩序につながります。道徳心の正しい云々は、並んでいる列に誰かが割り込んだとか、秩序の破壊者を怒っているわけです。
そして、智は智恵のことで、知識とは違います。知識をいかして創意工夫し、智恵にすることに意義があります。智恵はまた、中庸の精神、バランス感覚でもあります。
最後に信ですが、仁・義・礼・智の四つを達成して信があります。我々は信用、信頼がなければ生きていけません。人に優しく情けがあり、約束を実行し、秩序を守ってバランスよく―――全部、信用につながります。結局、人間は「信」を求めているんです。
会社というのは、いい社長がいるかそうでないかです。自身が独立し、仁・義・礼・智・信を踏まえて、実行力があり、いかなるときも気概の精神を持ち、逃げずに戦い、常に創意工夫をしていれば怖いものなしです。人はいずれ死にます。そのときまで、他人様に後ろ指を指されることなく正々堂々やったということが、気高き生き方(ノブレス・オブリージュ〔仏語で「貴族は義務を負う」の意〕)につながります。
コメント(4)
義、いいですね
ところでご質問へのご回答です
>人間身を前面に出して今日に感動の富士を持ってきたのは訳があるのでしょうか?
あります
ストーリ性を意識しているから。
だから、動と静などを分離したいからです
撮影時から写真アップした時のことを考えているんですね。
武士の妻女からみた武士道
検索“修行”しておりました道中、貴HP(道場)へ立ち寄った者にて候。
突然のお知らせ(書き込み)にて御免!
現代の女性に求められる「女性の品格」の源は武士の妻女の品格、気品です。
武道通信http://www.budotusin.net
へ御立ち寄りいただき『武士の女の品格』──武士の妻女からみた武士道を
お読みいただければ幸いです。
武道通信さん
こんばんは!
>武士の妻女からみた武士道 検索“修行”しておりました道中、貴HP(道場)へ立ち寄った者にて候。突然のお知らせ(書き込み)にて御免!
どういたしました・・・コメントありがとうございます。
>現代の女性に求められる「女性の品格」の源は武士の妻女の品格、気品です。
いまではそういう気品は影も形もないような・・・( 一一)
>武道通信http://www.budotusin.netへ御立ち寄りいただき『武士の女の品格』──武士の妻女からみた武士道をお読みいただければ幸いです。
了解です・・一度寄ってみてみます。